ロオマは、イタリアの街ですよね。イタリアにはミラノがあって、ロオマがあって。
無理矢理、日本にたとえばば、東京があって京都があるのにも、似ているでしょうか。
ロオマよりもミラノのほうが国際都市という印象があるんですね。
もう少し具体的に申しますと、ミラノで飲むエスプレッソより、ロオマで飲むエスプレッソのほうが、濃い感じ。
これも一例ですが。「ミラノの休日」なのか、「ロオマの休日」なのか。「ミラノの休日」は小説の題にふさわしく、「ロオマの休日」は、詩の題にふさわしい。
「ローマン・ホリデイ」 R o m an h ol id a y は、バイロンの詩『チャイルド・ハロルド卿の巡礼』から出ているとのこと。
古代ロオマの貴族の休日は、奴隷と猛獣とを闘わせて、それを見物することで。誰かの、何らかの犠牲の上に得られる娯楽を意味する言葉だったという。
川端康成が、昭和三十二年に書いた随筆に、『ロオマの休日』があります。川端康成は、
「ロオマ」と記しているので。
「こちらの朝飯は、ジユウスか果物にパンとコオヒイで、私のやうに朝から卵やハムを食べてゐるものは見かけない。」
ここに、「こちら」とあるのは、ロオマの宿のこと。ロオマに限らずイタリア、いや、ヨオロッパの朝食は、いわゆる「コンティネンタル」で、パンと珈琲が中心。なぜなら夕食の時間が遅く、量も多いので。
川端康成はこのとき、ロオマからパリへ。
パリで川端康成はある画廊で、「ティシアン」の五十号くらいの絵を勧められて。値段を訊くと、日本円に直して、「五千万円」。
川端康成が、昭和二十九年から、昭和三十年にかけて連載した『東京の人』の中に。
「カレエ・ライス、ハム・ライス、開化どんぶり、オムレツなどが百圓で、俊三は五十圓の中華そばを注文した。」
そんな文章が出てきます。
あれこれ四捨五入して、ざっと十倍でしょうか。
ということは、川端康成がパリで買おうとした絵は、今ならおよそ五億円くらいになるのでしょうか。
なんだか値段の話ばかりで恐縮ですが。
「ピノキオの繪の子供ハンカチイフが四十圓、一万七百圓もするロオンのレエスのまで……………………。」
川端康成が、昭和三十一年に発表した『東京の人』の一節に、そのような文章が出てきます。
ロオン l awn は薄手のコットン。
北フランス、「ロオン」L o an の地で織られたので、その名前があります。
ただし、もともとは麻織物。
どなたか麻ロオンでシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。