モンバサという街があるんだそうですね。
アフリカ、ケニア。港町。M omb as a と書いて、「モンバサ」と訓むのだそうです。
モンバサは、古くから交易で栄えた所。香辛料や象牙などが多く輸出されたという。新しいところでは、コーヒー豆、綿花などの積出港でもありました。
モンバサからの交易は、紀元前一世紀からはじまって、主に「ダウ」で運ばれた。「ダウ」 dh o w は、古代の、木造帆船のこと。たいていは、三角帆を三本張った小舟であったらしい。
この「ダウ」よりも古くからあったのが、「ガレー」g a ll ey 。俗に「ガレー船」と呼ばれる船のことです。
1959年の名画、『ベン・ハー』にも登場するのが、ガレー船であります。人が、櫂を使って漕ぐ船。ガレー船は、紀元前3、500年頃、すでにあったそうですね。
ガレー船というと、すでに奴隷を想い浮かべるのですが。必ずしもそうではなくて、自由民が希望して漕ぎ手にもなったという。
なぜか。それは個人の荷物の範囲なら、品物を持った乗ることが許されていたから。この個人の持物を、到着地で交易すれば大金にもなったからであります。
えーと。モンバサの話をしていたんですね。
モンバサが出てくる小説に、『海流のなかの島々』があります。もちろん、ヘミングウェイの書いて物語。ただし、ヘミングウェイの没後、未発表のかたちの原稿として発見されたもの。
「ハドソンもそうだったが、殿下夫妻は東アフリカで狩猟をやった帰り途で、ナイロビの『ムサイガ・クラブ』と『トーズ』と二ヶ所で出会い、さらにまたモンバサから同じ船に乗り合わせてのである。」
文中の「ハドソン」は、トオマス・ハドソンで、ヘミングウェイの分身だと考えて間違いないでしょう。
また、『海流のなかの島々』には、こんな描写も出てきます。
「床から起き上がったハドソンはモカシンをはき、ラシャの古びた上衣を着て…………………。」
ここから想像するに、ヘミングウェイもまた、モカシンを部屋履きに使ったことがあるのでしょうね。
「淡いグレイのズボンに、モカシンの靴をはいている。」
1967年に、生島治郎が書いた『血が足りない』にも、そんな文章が出てくるのですが。
家の中で履くモカシンなのか。家の外でおしゃれ履きにするのか。モカシンにもいろんな愉しみ方があるようですね。