手首上の小宇宙
リストウォッチは腕時計のことである。ポケット・ウォッチが懐中時計であるのに対して、腕時計はリストウォッチとなる。
広い意味での腕時計は、1790年に生まれているという。スイスの、「ジャッケ・ドロー&レショー」が手首に巻いて使う時計を完成させている。これはスイス、ラ・ショー・ド・フォンの時計会社で、いわゆるブレスレット・ウォッチだったと思われる。つまりは、婦人用。
1806年にはパリの「ニト」という宝飾師が、ブレスレット・ウォッチを作っている。それは真珠とエメラルドをあしらった腕時計で、ジョセフィーヌ王妃の注文であった。
男性用の腕時計としては、1880年の記録がある。これもスイスの時計会社、「ジラール・ペルゴー」が作った、ゴールド側、黒革バンドの腕時計。これはドイツ海軍の依頼によって制作されたもの。海軍将校が、船上で時間を確認するためのものであった。堅苦しい軍装の内側から、懐中時計を引き出すのが面倒だったからである。
1885年にはイギリスでもリストウォッチが作られている。それは「メッサーズ・ロザーハム」のムーヴメント使った、「J・W・ベンソン」社の腕時計であった。
『一つはエルミラのメースン社製、一つは無銘、最後に革紐で手首につけた小さいのは宝石使って立派に飾りたてたもので、ニューヨークのティファ二社製だった。」
コナン・ドイル著『時計だらけの男』 ( 1898年刊 ) に出てくる描写。ただしこの物語自体は、1892年3月16日のことである。
ユーストンからマンチェスターに向かう列車内で、事件が起きる。被害者の若い男は、合計六つの時計身に着けていた。ここから物語がはじまるのだ。その多くはポケット・ウォッチであっただろう。が、ティファニーのリストウォッチも含まれていた。
少なくともコナン・ドイルは、1892年にティファニーの腕時計があることを知っていたに違いない。小説に出てくる腕時計としては、比較的はやい例かと思われる。
「1907年11月12日、220メートルの距離を飛行機で飛んだ後、ルイが特別に彼のために作った腕時計を見て、22秒の世界記録を作ったことを確認した。」
カルティエ編『カルティエの時』 (1989年刊 ) にはそのように書かれている。「サントス」が、飛行家で富豪の、アルベルト・サントス。「ルイ」が、ルイ・カルティエであることは、言うまでもないだろう。アルベルト・サントスが飛行用の腕時計をカルティエに注文したのは、有名な話であろう。そのサントスの腕時計のムーヴメントは、「10リン」の厚さであったという。10リンとは古い、特殊な単位で、今の、2.2558ミリに相当する。
しかしサントスがカルティエに腕時計を依頼したのは、その時が最初ではない。それよりも前の、1900年頃にも腕時計を注文している。それはルビーを鏤めたエレガントな腕時計で、サントスからさる恋人への贈物であった。腕時計も裏面には「ヌイイの人へ」の刻印があったという。その佳人はヌイイに住んでいたのであろう。
「おれたちの身につけているもので唯一高価なものといえば腕時計だけだった。ケンはローレックスで、おれはブライトリングだった。この商売で道具だけはケチれない。」
ギャビン・ライアル著『裏切りの国』( 1982年刊 ) の一節。「ケン」は、ケン・キャビット。「おれ」は、ロイ・ケイス。ふたりともパイロットという設定。だから時計の話になるわけだ。
しかし腕時計という「道具」にケチれないのは、なにもパイロットだけではないだろう。