ペンは、筆のことですよね。日本に筆があれば、西洋にはペンがあります。もちろんpen
と書いて「ペン」と訓みます。英語では1280年頃から使われている言葉なんだそうですね。
英語のペンは、ラテン語の「ペンナム」pennam
から出ているとの説があります。その意味は、「羽根」。昔は鵞鳥などの羽根を削って、ペン代わりにしたんだとか。
ペン先が丸くなると、小さなナイフで削って、先を尖らせた。そのための小刀が、「ペン・ナイフ」だったわけですね。
明治期の日本の作家はたいてい和紙に筆で原稿を書いたという。その中でわりあいはやく万年筆を使ったお方に、夏目漱石がいます。
「始めて万年筆を用ひ出してから僅か三四年にしかならないので親しみの薄い事は明かに分る。」
漱石は、『余と万年筆』と題する随筆の中で、そんなふうに書いています。
この『余と万年筆』は、明治四十五年『万年筆の印象と図解カタログ』六月三十日号に、発表されたものです。
ということは、明治四十二年頃から、漱石は筆から万年筆に代えたのでしょう。
ここからの想像ではありますが。『草枕』以前の小説はたぶん、筆書きだったでしょう。
また、『門』以降の小説は万年筆での執筆かと思われるのですが。
では、漱石はどんな万年筆を使ったのか。「ペリカン」これは当時「丸善」に勤めていた、内田魯庵の薦めだったようです。ペリカンの次に、「オノト」。オノトと漱石との相性は良かったらしく、かなり長い間使ったらしい。
漱石のオノトからは幾多の名作が生まれているに違いありません。
ペンが出てくる「解説」に、アンドレ・ジイドの『背徳の人』があります。日本語訳は、二宮正之。二宮正之の「解説」には、ジイドの詳しい年譜が添えられているのです。
「………ポケットから携帯用のインクとペンを取りだし………」
これは1899年にジッドが見た街の光景として。紳士Aが、紳士Bに、突然、ペンを出して、「何か書け」と迫る場面。
ここに「携帯用のインク」とありますから、万年筆ではないでしょう。その時代には、携帯用の羽根ペンがあったのでしょうか。
ジイドの『背徳の人』を読んでおりますと、こんな描写が出てきます。
「スカートとブラウスはどちらも同じスコットランドのショール地で仕立ててあった。」
これは「マルスリーヌ」の着こなしとして。私は勝手にペイズリイを想像してしまいました。
「ペイズリイ」Paisley
はもともとスコットランドの地名。十九世紀のはじめ、この地で機械織によるカシミア・ショールが完成したことに因んで。カシミア・ショールには、ペイズリイ柄が多かったからです。
どなたかショールで上着を仕立てて頂けませんでしょうか。