キャンドルは、蝋燭のことですよね。今は電灯の時代。でも、その昔は長く蝋燭の時代があったはずです。
電球に「二十燭」とか「三十燭」の数字が書いてあったりします。あれはたぶん、蝋燭二十本分の明るさの意味なのでしょう。電球の前に蝋燭での暮しのあったことを雄弁に語っているのでしょう。
今の時代でも、キャンドルで食事することも不可能ではありません。。キャンドルとキャンドル・スタンドさえあれば良いのですから。
電灯を消して、キャンドル点けて。たったそれだけで,いつもの食事の雰囲気が大きく違ってくるでしょう。
キャンドル・スタンドが出てくる小説に、『極めて個人的な話』があります。1941年に、イギリスの作家、モオムが書いた物語。でも、なんだか随筆のような小説なのですが。
第二次大戦中に、モオム自身が体験したことが中心になっています。
「彼らは肉屋や、パン屋や、燭台製造人と同等にまじわり、ともに食べ、ともに寝、ともに働き、ともに遊んでいた。」
モオムもまた、キャンドルの灯りで食事をしたに違いありません。当時はフランスにも、停電はあったでしょうから。
サマセット・モオムの『極めて個人的な話』を読んでおりますと、こんな一節も出てきます。
「なんですって?」と、主人はいすにそり返って叫んだ。「マルテルの家に泊まりにきながら、ブランデーを口にしないなんて」
南フランス、キャップ・フェラのモオムの豪邸は接収されたので、友人宅を転々としていたんですね。
それがたまたまコニャックの「マーテル家」だったのです。豪華な食事の後で、モオムがコニャックを断った時の主人の科白として。しかもそのコニャックは自家用の特別なボトルだったのですから。
モオムの『極めて個人的な話』を読んでおりますと、こんな描写も出てきます。はじめてモオムの自宅に軍人がやって来る場面。
「袖に巻かれた金モールによって、高級将校であることがわかった。」
彼らは最初、モオムの自宅に、大砲を置かせて欲しいとの依頼だったのですが。
金モール。どなたか金モールの入った白いブレイザーを仕立てて頂けませんでしょうか。