アンダルシアは、スペインの地方名ですよね。南スペインに位置しています。
ウエルバ、セビリア、コルドバ、カディス、ハエン、マラガ、グラナダ、アルメリア。この八つの県で、アンダルシアが構成されているんだとか。
昭和五年にアンダルシアを旅した英文学者に、福原麟太郎がいます。その時の紀行文『スペインの旅』を読んでおりますと、こんな文章が出てきます。
「ジブラルターの海峡に連なる一角である。このアンダルーシアが一番スペイン的である。」
福原麟太郎はコルドバから列車でグラナダに移動しています。
「カツレツ弁当のようなバスケットを買って、電気のつかない二等車の中でそれを食べながら、夜の十時半にグラナダヘついた。」
そんなふうにも書いてあります。
1960年代にアンダルシアを訪ねた音楽評論家が、小泉文夫。小泉文夫は、『民族音楽紀行』の中に、アンダルシアの様子を詳しく書いています。
小泉文夫のアンダルシアへの旅の目的は何だったのか。フラメンコの歌の採取。
「カディスの生んだ無形文化財産的存在であるアウレリオ・セジェスの名前は誰でも知っていた。」
それで小泉文夫はアウレリオ・セジェスの歌を採取しよう、と。当時の重たい録音器を持って。その時代でも、伝統的なフラメンコの歌は、カディスにしか遺っていなかったらしい。
小泉文夫はついに、アウレリオを発見。でも、もはやセジェスのギター伴奏ができるギタリストはいなかった。そこでアウレリオはアカペラで歌ってくれたという。
1951年に、エルサ・モランテが発表したに、『アンダルシアの形かけ』があります。エルサ・モランテは、1912年に、イタリアのロオマに生れてた、女流作家。
イタリアにはエルサの名前が少なくないのでしょうか。1930年代の巴里で活躍した、エルサ・スキャパレリも同じくイタリア人だったですね。
「一人前の男の、つまり裁断も仕上げもなにからなにまで、完璧な男らしいスタイルのスーツは」
エルサ・モランテの『アンダルシアの肩かけ』には、そんな一節も出てきます。これはジュディッタがアンドレーアにプレゼントしたスーツとして。この服を揃えるために、ジュディッタは、大切にしていた金の小箱を売ったのですが。
1929年のフランス映画に、『アンダルシアの犬』があります。この映画の脚本を書いたのが、ルイス・ブニュエル。ルイス・ブニュエルは1900年2月22日に、スペインに生れています。映画脚本家。1930年にはMGMに招かれて、ハリウッドにも渡っているのですが。
1967年のフランス映画、『昼顔』の脚本を書いたのも、ルイス・ブニュエル。ルイス・ブニュエルの随筆に、『マンジューの口髭に関するバリエーション』があるのですが。
ここでの「アドルフ」が、俳優のアドルフ・マンジューであるのは、言うまでもないでしょう。
アドルフ・マンジューは、1890年2月18日。ペンシルヴァニア州ピッツバーグに生れています。1937年の映画『スタア誕生』にも、出演。
アドルフ・マンジューは、古今東西の映画俳優の中で、もっとも洒落者だった人物。
「売れていない時ほど着こなしに留意すべきだ。」
そんな名言をも遺しています。
どなたかアドルフ・マンジューのスーツを再現して頂けませんでしょうか。