ダブリンは、アイルランドの首都ですよね。
ダブリンからジョイスを想う人も少なくないでしょう。
ダブリンに生まれた作家に、ジェイムズ・ジョイスがいますから。
1882年2月2日のことです。今からざっと百五十年ほど前のことになるでしょうか。
ジェイムズ・ジョイスが1914年に発表した小説に、『ダブリン市民』があります。ジョイスが多くダブリンのこと書いているのは、ご存じの通り。
昭和十一年にダブリンを旅したお方に、斎藤清衛がいます。斎藤清衛は優れた国文学者。
「私はダブリンの銀座通りであるグラフトン街を南の方に歩いた。昔からある古い通りで、道幅は狭いが、がつちりした十八世紀風の建物が目につく。」
斎藤清衛は紀行文の中に、そのように書いてあります。
ダブリンでは、「ロッス・ホテル」に泊まって。ダブリンの街を歩いていて、ロバが挽く馬車に出会って。写真機を向けると、馭者が止まってくれて。馭者に小銭を出すと、「サンキュウ」と言ってくれた。そんな話も出てきます。
ダブリンで撮影された映画のひとつに、『寒い国から帰ってきたスパイ』があります。原作は、英国人作家の、
ジョン・ル・カレ。
原作は1963年の発表。映画化は、1965年。パラマウント映画によって。
この時のジョン・ル・カレは、本名のデイヴィッド・コーンウエルとして、「MI 6」に勤めていたのですが。
パラマウント映画はこの映画化権に、七千五百ポンドを払ったという。
映画『寒い国から帰ってきたスパイ』の主演は、リチャード・バートン。監督は、マーティン・リット。
マーティン・リットからデイヴィッドに連絡があって。「すぐ、ダブリンに来て欲しい。」
デイヴィッドが妻のアンと一緒に、ダブリンへ。
そこで分かったことは、監督とバートンとの間がぎくしゃくしていて。
リチャード・バートンは相手役に、当時恋人だったエリザベス・テイラーを推薦したのに、採用されなかったので。
それを説得して、演技してもらうように、デイヴィッドはバートンにお願いしたんだそうですね。
『寒い国から帰ってきたスパイ』がベストセラーになったので、ジョン・ル・カレは写真を写されることに。そんな時には、ジョン・ル・カレはたいてい、タタサルのシャツを着たんだそうですね。
「タタサル」tattersal 。つい、タッターソールと訓みたくなってしまうのですが。
これはリチャード・タタサルの名前に由来しているので、「タタサル」と発音します。
リチャード・タタサルは1766年に、ロンドン初の公設馬市場を開いた人物なのですね。
1951年にJ・D・サリンジャーが発表した『ライ麦畑でつかまえて』にも、「タタサルのチョッキ」が出てきます。
その昔、ロンドンの馬関係者が、タタサルのチョッキを着たのが、はじまり。
どなたかタタサルのウエイストコオトを仕立てて頂けませんでしょうか。