ケントは、人の名前にもありますよね。
たとえば、クラーク・ケント。スーパーマンの別名でもあるのは、ご存じの通り。
ふつうKent と書いて「ケント」と訓みますね。ケントは名前にもあり、姓名にもあります。あるいはまた、地名にも。
英国には、ケント州があるように。英国のケント州は紙にも関係があります。
「ケント紙」というではありませんか。上質の画用紙のことを、「ケント紙」。その昔、ケント州から輸入されていたので、「ケント紙」と呼ばれるようになったんだとか。
「夜になって洋室の窓をのぞくと、ピンで止めた大きなケント紙に、図を引く夫の姿を、スタンドのシェードのかげに見ることがある。それがこの男の職業であった。」
昭和三十一年に、永井龍男が発表した短篇『枯芝』にそのような一節が出てきます。「男」は、設計士なので。設計図などの細かい線を引くには、ケント紙は最適のものでしょうね。また、名刺などにもケント紙はよく用いられるようですが。
ケント紙を広く画用紙だと考えますと。『サザエさん』なども、たぶん原稿は画用紙に描かれていたのではないでしょうか。
長谷川町子の漫画『サザエさん』のことなのですが。
長谷川町子は大正九年一月三十日に、佐賀県に生まれています。
漫画『サザエさん』がはじまったのは、昭和二十一年四月二十二日のことなんだそうですね。「夕刊フクニチ」紙上で。
長谷川町子は昭和九年、十四歳で、田河水泡の弟子に。学校を終えてからは、田河水泡の家に住み込んでの修業。昭和十一年四月のこと。
でも、翌年にはホームシックで実家に帰っているのですが。これもちょっと漫画みたいですね。
昭和二十年代以降、『サザエさん』は大人気に。単行本が売れに売れて。自分たちの会社「姉妹社」は大金持ちに。
昭和三十三年のある日。立派な紳士が長谷川町子を訪ねて来て。
「わたしの箱根の別荘を買って下さらんか?」
その紳士は四国に帰るので。結局、長谷川町子はその箱根の別荘を買うことに。
その紳士とは、薩摩治郎八だったという。
えーと、ケント紙の話でしたね。
ケントが出てくる長篇に、『ラビット・アングストローム』があります。1960年に、アメリカの作家、ジョン・アップダイクが発表した物語。
「ぼくはケントで社会学のコースを取ったんだよ。」
これはたぶん学校の話をしているんでしょう。
また、この小説には当時の服装もたくさん出てきます。
「ケッズのバスケットシューズが裏通りのはがれた砂利を引っ掻いたり、はね飛ばすと、子供たちの声は高く、」
「ケッズ」Keds はスポーツシューズの専門メイカー。
1892年に、「ユナイテッド・ラバー」として誕生。
1917年には、「チャンピオン・オックスフォード」を発売。この時の商標名が、「ケッズ」だったのですね。
どなたか1910年代のスニーカーを再現して頂けませんでしょうか。