蝉折は、髷のひとつですよね。
蝉折(せみおれ)は、江戸時代に流行った髪型のこと。
髷を結った毛先を上にはねあげる髪型。それが蝉の羽根のように見えるので、「蝉折」。
「或は立髪、蝉折、後家島田、抱髪、絲鬢、手先下がり……」
元禄七年に出た「夜食時分」の『好色万金丹』に、そのような一節が出てきます。
当時の髪型にふれての場面で。
「夜食時分」はもちろん著者の筆名。
いずれにしても江戸期に「蝉折」に人気があったのは、間違いないでしょう。
まだ、「蝉折」があった時代の物語に、『座頭市物語』があります。
これは何度も映画化されていますから、よくご存じでしょう。
昭和三十七年の九月。『座頭市物語』。
勝 新太郎が「座頭市」に扮する映画。
この『座頭市物語』の原作を書いたのが、子母澤 寛。
子母澤 寛はある時、友人にすすめられて、千葉の飯岡に。それは寒い冬の日で。海は時化ていたという。
宿に泊って、一人で夕食を。その時、宿の主人がやって来て、話相手に。
「市さんという変ったお方がいらっしゃいましてねえ。」
昔話を。もと武家で、身をもちくずして、無頼の徒に。居合の達人だったという。
「天保の頃、下総飯岡の石渡助五郎のところに座頭市という盲目の子分がいた。」
昭和三十六年、子母澤 寛は随筆集『ふところ手帖』を書いて。そのひとつが『座頭市物語』だったのですね。原稿用紙にして十五枚ほど。
座頭市にモデルがあったようですが、その人物は定かではありません。ただの「市」では具合が悪いので、「座頭市」の名前にしたのも、子母澤 寛。
この子母澤 寛の『ふところ手帖』を読んだのが、映画監督の、三隅研次。「これは映画になる」。
三隅研次は、1921年3月2日に京都に生まれています。
三隅研次にとっても『座頭市物語』は代表作になっているのですが。
それにしても、ごく短い随筆から、多くの映画に仕上げた腕は大したものですね。
座頭市は白鞘の仕込杖を愛用。これは勝 新太郎の提案によるものだったという。
実際に座頭市がどんな刀を用いたのか。よく分ってはいません。
刀にはまず例外なく鍔があります。この鍔を安定させる小さな鉄の板のことを、「切羽台」。切羽台を省略して、時に、切羽とも。
切羽は幕末の洋服師のスラング。上着の袖口の意味だったのです。
幕末から明治のはじめにかけてはまだ刀は身近な存在。
ひとこと「切羽」といえば、その楕円形からもすぐに袖先を想像したのでしょう。
以来、紆余曲折がありまして。「切羽」にもいろんな意味があるようですが。
もともとは上着の袖先のことだったのですね。
どなたか切羽の美しい上着を仕立てて頂けませんでしょうか。