わ印とワラチ

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わ印は、浮世絵のひとつですよね。浮世絵もまた、日本が世界に誇る藝術品であります。
ひと口に、浮世絵と申しましても、いろんな種類があるんだそうですね。ごく稀に、いささか度肝を抜かすような浮世絵も。「これはとても子どもには見せられない」。そんな類いの浮世絵を、昔は「わ印」と言ったんだそうです。たぶん「笑い物」というところから来ているのではないでしょうか。
古くからの浮世絵研究家に、小島烏水がいます。烏水と書いて、「うすい」と訓むのですが、これは文章を書く時の、筆名。本名は、小島久太。明治六年十二月二十九日。香川県高松市に生まれています。
小島久太は、「横濱商業高校」を卒えた後、「横濱正金銀行」に入っています。つまり、人生の大半は銀行員であったのです。
ただし、シアトル支店やサンフランシスコ支店など、海外勤務の多い人物でもありました。その一方で、趣味人。浮世絵蒐集と、登山。海外勤務の傍ら、休日には各地の名山を目指しています。その意味では、日本の近代登山家のひとりでもあったお方です。

「右の方の草原へ切れ込むと、車百合や、四葉塩釜や、岩桔梗や、ムカゴトラノオなどの高山植物が、ちらほら咲きはじめて、草むらの間には、石の切れ屑がときどき草鞋を噛む。」

小島烏水著『谷より峰へ峰より谷へ』に、そのように書いています。
これは、明治四十四年七月に、小島烏水が穂高岳に登った折の紀行文なのです。
明治四十四年に、小島烏水は、「草鞋」を履いていたことが窺えるでしょう。
草鞋からの連想なのですが。「ワラチ」 h ur ach e 。ワラチは、昔、メキシコなどで愛用されたサンダル式の履物。草鞋に似ていなくもありません。
草鞋とワラチ。世の中には、こんな偶然もあるんですね。

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