魏志倭人伝と絹

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魏志倭人伝は、中国の古書ですよね。もし、読んだことがなくても、『魏志倭人伝』の名前くらいは聞いたことがあるでしょうか。
『魏志倭人伝』は、だいたい三世紀頃の書物なんだそうですね。
『魏志倭人伝』には、その頃の日本がどうであったかも、書いてあるんだとか。そんなことからも、貴重な古書だとされるのでしょう。
たとえば、卑弥呼。その時代に「卑弥呼」居た。これは、『魏志倭人伝』に出ている話なのですね。また、もっと細かくことも出ています。

「白絹五十匹、金八両、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤を賜う。」

これは、貢物の一部かと思われます。当時、すでに「白絹」があったのは、まず間違いないでしょう。
ここから話は、明治へ飛びます。明治天皇の宮廷で、お蚕が飼われた。それは明治十二年のことだったという。『明治天皇紀』に、そのように出ています。ただ、『明治天皇紀』は古い表現で、読みにくいのですが。おおよそ、こんなことが。
明治十二年四月二日に。昭憲皇太后が率先して、青山御所に、養蚕所を開いた、と。
昭憲皇太后がはじめられたことなので、華族の子女、十六名がそのお手伝いをしたんだそうです
同じ年の六月には、昭憲皇太后おん自ら、糸をお採りになったという。
宮中でのお蚕は、今なお続けられていて、極上の絹が生まれるのです。
日本は、お蚕の国でもあるのですね。

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