フロイトとブラック

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フロイトは、精神分析医の名前ですよね。「フロイト学派」なんていうではありませんか。もちろん、ジークムント・フロイト。
ジークムント・フロイトは、1856年5月6日に、当時のオーストリア帝国に生まれています。生まれた年の中に、ちゃんと誕生日が組み込まれている、珍しいお方かも知れませんね。
オーストリアふうの呼び方なら、フロイト。イギリスふうなら「フロイド」でしょうか。
ジークムント・フロイトのお父さんは、ヤーコプ・フロイトで、ウール・マーチャントだったと、伝えられています。
フロイトはいうまでもなく、「心の病」を研究した学者。その結果にたどり着いたのが、「精神分析」だったのです。
フロイトは、こう考えた。人には意識と「無意識」とがある。そして心の病は、「無意識」のある部分によって起きるのだ、と。だから、「無意識」のある偏りに気づけば、心の病は治るのだ、と。
フロイトが出てくる小説に、『音楽』があります。三島由紀夫が、昭和四十年に発表した物語。

「三島氏は一時、フロイトやユングにかなり身を入れて付き合ったと思われる節があるのに………………………」。

澁澤龍彦は、『音楽』への「解説」に、そのように書いています。
三島由紀夫の『音楽』が、いわゆる「精神分析」を土台にしていることは、間違いありません。
精神分析医、汐見和順のところに、妙齢の、弓川麗子が患者として訪れるところから、『音楽』は幕を開けます。
『音楽』の中に、こんな描写が。

「夏の日曜日でした。待ち合せの場所へ、あの人は、黒いポロシャツと黒ズボンで来ていました。」

これは、弓川麗子の戀人、江上隆一の着こなしという設定。これはほんの一例で、江上隆一は、たいていの場合、「黒い服装」なのです。ブラック。
事実、作者、三島由紀夫もまた、黒いポロ・シャツを偏愛していた印象があります。
なぜ、ブラックなのか。男にとってのブラックは、「強さ」の象徴といったところがあるのではないでしょう。女の場合のブラックが、「優雅」をあらわすのと、対照的に。
男が黒いポロ・シャツを着る事情。これはフロイト博士にお訊ねしたほうが良いでしょうか。

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