オオドゥリイとオオ・ドゥ・コロオニュ

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オオドゥリイで、世界的な女優でといえば、オオドゥリイ・ヘップバーンでしょうね。
稀に見る清純派は、1929年5月4日。ベルギーのブリュッセルで生まれています。
本名は、オオドゥリイ・キャスリン・ファン・ヘームストラ。でも、どうして「オオドゥリイ」になったのか。
お父さんは、たぶん男の子だろうと思って、「アンドリュウ」の名前を用意していた。が、実際には、女の子。そこでアンドリュウの男名前、「オオドゥリイ」にしたんだそうですね。
ヘップバーンがヘップバーンとして発見されたのは、1951年のことです。『ジジ』の主役として。それまでのヘップバーンは、ロンドンのダンサーだったのですが。
ヘップバーンの素質を最初に認めたのは、フランスの作家、コレット。『ジジ』は、コレットの書いた戯曲だったので。コレットは言った。
「あら、私のジジが、ここに居たわ。」
作者のコレットがそう言ってので、面接を。面接は、ロンドンの「サヴォイ・ホテル」で。脚本家のアニタ・ルースと、女優のポーレット・ゴダードとが会うことに。

「彼女はシンプルな白のシャツブラウスにスカートという格好でホテルにやってきたが、ポーレットとわたしはその並はずれた美しさに圧倒された。」

これは、アニタ・ルースの言葉。
バリー・パリス著『オードリー・ヘップバーン物語』に、出ている話なのですが。
後に、ヘップバーンが映画の中で流行らせてものは、たくさんあります。たとえば、「サブリナ・パンツ」。細く、脚にぴったりした、七分丈のパンツ。
1954年の映画『麗しのサブリナ』で、ヘップバーンが穿いたところから、流行になったものですね。
でも、サブリナ・パンツの前にも、「トレアドル・パンツ」もあったらしい。トレアドル・パンツは、同じく細身で、ただし足首までの長さ。トレアドル・パンツが出てくる小説に、『ミイラ頌』があります。昭和三十年に、中河与一が発表した短編。ただし、舞台は巴里に置かれているのですが。

「セシールは赤いジャンパーに足首までのトレアドル・ズボンをはいて生き々としていた。」

これは巴里で暮らす日本人画家、池野喜景から眺めての様子。
また、『ミイラ頌』には、こんな描写も出てきます。

「彼女の髪は平生つけていたオー・ド・コロニュの香りと彼女の匂いとが残っていて、今も彼女がそこにいるような錯覚を起こさせた。」

これも、また、セシールの想い出なのでが。中河与一は、「オー・ド・コロニュ」と、書いています。
さて、オオドゥリイは、どんなオオ・ドゥ・コロオニュがお好きだったのでしょうか。

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