ボルドオと帽子

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ボルドオは、ワインの町ですよね。
ボルドオ B orde a ux は、ジロンド県の県庁所在地でもあります。また、ガロンヌ川が流れる港町でも。港町ということは、ワインを輸出するにも都合が良かったのでしょう。
ボルドオを飲まずしてワインを語ることなかれ。
これも一面の真理だと思われます。
ボルドオと絵師というなら、ゴヤでしょうか。スペインの巨匠、ゴヤは説明するまでもないでしょう。スペインの偉大なる画家、ゴヤは、ボルドオで、八十二歳の生涯を終えています。1828年4月16日のことであります。
1824年。ゴヤは、スペインのフェルナンド七世の特別の許しを得て、ボルドオに移っています。ゴヤ、七十八歳の時に。
七十八歳のゴヤが、どうしてスペインを離れ、ボルドオに移ったのか。その頃、ゴヤは宮廷画家で、政変も噂されたために、ゴヤの身も安全ではなかったから。
でも、それにしても、なぜ、ボルドオだったのか。1820年代のボルドオは、フランス語もあり、スペイン語もありという町だったので。ゴヤは、若いときに覚えたフランス語をほとんど忘れていたこともあって。もっとも1820年代のゴヤは、もう耳が遠くなってもいたのですが。
1827年、ゴヤは、『ボルドオのミルク売り娘』を描いています。ゴヤ、八十一歳の時に。ゴヤの晩年の、代表作であります。『ボルドオのミルク売り娘』には、ゴヤの特徴である誇張は、ほとんど感じられません。素直な、透明度の高い絵画になっています。
1824年、ゴヤはボルドオへ。たしかに、その通りなのですが。ボルドオに着いたその足で、すぐに巴里に向っているのです。巴里でのゴヤの様子は、どうであったのか。

「そこで旅行者というとイギリス人ばかりが目立つこの時代にならい、パリに入ったゴヤはイギリス風の、世界一周旅行用の大きなひさし付き帽子を頭にのせていた。」

ジャン・フランソワ・シャブラン著『ゴヤの生涯』に、そのように出ています。
「大きなひさし付き帽子」の右脇には、「グローブ・トロッター」のルビが振ってあるのです。
「グローブ・トロッター」は、世界一周旅行者の意味ですから、そのためにふさわしい帽子なのでしょう。
1824年、七十八歳のゴヤは、ボルドオから巴里へ。巴里からまたすぐにボルドオに帰っています、この徒歩での道中に、ゴヤがグローブ・トロッターをかぶっていたのは、まず間違いないでしょう。

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