ソーセージと宗匠頭巾

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ソーセージは、腸詰のことですよね。動物の腸に刻んだ肉を詰めるので、腸詰。
sausage と書いて「ソーセージ」と訓みます
古代エジプトの時代にはすでにソーセージがあったそうですから、その歴史も古いものがあるのでしょう。大きな獲物を得ても、その保存に苦労したことでしょうから。生肉ではなく、ソーセージにしておけば、保存が可能だったでしょう。

「腸詰やら、握飯のやうなガンモドキのやうな變な物やら、棗の砂糖漬やらを取り出して頻りにすすめてくれる。」

杉村楚人冠は、明治四十一年に書いた『大英游記』に中に、そのように述べています。杉村楚人冠は、「腸詰」と書いて「ソーセージ」のルビを添えているのですが。
芥川龍之介が、大正四年に発表した短篇に、『鼻』があります。この中に。

「云はゞ細長い腸詰めのやうな物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下つてゐるのである。」

これは禅智内供の鼻についての説明として。
芥川龍之介は明らかに「腸詰め」と書いています。少なくとも芥川龍之介は大正のはじめ、腸詰を識っていたことになるでしょう。では、当時、すでに食べたことがあったのか。
余談ですが、その頃、まったくの新人作家だった芥川龍之介の初期作品『鼻』を絶賛したのが、夏目漱石。芥川龍之介はこの『鼻』によって世間に認められるようになった。そう言っても過言ではないでしょう。
私は勝手に芥川龍之介は大正の初期に、はや腸詰を召しあがっていただろうと、想像しているのですが。
夏目漱石は明治期にロンドンへ留学しています。当然、ソーセージを口にしていたでしょう。この腸詰への想いから、芥川龍之介の『鼻』を褒めたのでないか。これはちょっと穿ちすぎではあるでしょうが。

ソーセージが出てくる小説に、『蓼喰う虫』があります。昭和三年に、谷崎潤一郎が発表した長篇。この中に。

「これ? これはレヴアのソーセージ。神戸のドイツ人の店のよ。」

そんな会話が出てきます。たぶん谷崎潤一郎は昭和のはじめには、ソーセージがお好きになっていたものと思われます。
また、『蓼喰う虫』には、こんな描写も出てきます。

「紗の宗匠頭巾をかぶつた、宝井其角といふいでたちで奥から現はれた老人は」

「老人」は、「宗匠頭巾」を頭に載せているのですね。
宗匠頭巾。江戸期にはごく一般的に用いられたようです。
江戸期の「宗匠」は、今の時代の「先生」に近いでしょうか。俳句の先生、お茶の先生などにふさわしい被り物だったのです。
そういえば、千 利休も宗匠頭巾をかぶっていたようです。宗匠頭巾は、丸い、縁無し帽によく似ています。
どなたか現代の街にも似合う宗匠頭巾を作って頂けませんでしょうか!「宗匠帽」と名づけますから。

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