ソフト(soft)

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紳士の王冠

ここでの「ソフト」はソフト帽のことである。また、ソフト・ハットともいう。
「シャッポ」は今、「シャッポを脱ぐ」の慣用句に残っているくらいで、半ばの古語でもあろうか。
その点「ソフト」は現役である。ソフト・ハットと皆まで言わなくても充分通じる言葉だ。もし日本語でというなら、「中折れ」がある。「中折れ帽」とも。
ソフトにはヤマの頂上に「筋」をつける。このクリースのことを「中折れ」と表現したものであろう。
ソフト・ハットはハード・ハットに対する言葉である。トップ・ハットもボウラーも固く仕上げられる。十九世紀中頃まの紳士帽は固ければ固くほど、正式であり、威厳があると考えられていたのだ。従って当時の考えではソフト・ハットは略式の帽子だったのである。
固く帽子はよりフォーマルであり、柔らかい帽子はよりインフォーマルな帽子だとされたのだ。
幕末から明治のはじめにかけて西洋の帽子が入ってきた時、「ソフト帽」の名前が生まれたのであろう。
余談ではあるが、トップ・ハットは「高帽」とか「絹帽」とも呼んだもの。一方ボウラーは、「山高とか、「山高帽」とかの名前があった。
慶應三年 ( 1867年 ) に長崎の、柴田方庵が「帽子」を被ったと、伝えられている。柴田方庵の『日記』三月二十八日のところに出ている。ただしこの「帽子」はトップ・ハットであったかと思われる。
日本での帽子は断髪令と直接に関係している。明治になって髷は旧式だとされるようになる。そこで出されたのが、断髪令。髷を落とすと慣れていないので、恥ずかしい。そこで帽子が必要になったのだ。もし断髪令がなかったなら、日本での帽子の流行は遅れていたに違いない。
「脱刀散髪勝手たるべし」。これが断髪令であった。明治四年八月九日のことである。今の言葉に直すなら、「刀を持たなくてよい、散髪してもよい」といったところだろうか。つまり罰則規定はなかったのだ。
そのこともあってか、皆が皆、すぐに髷を落としたわけではない。これでは西洋に遅れるというので、天皇自ら範を示すことになる。明治天皇は明治六年に西洋式の頭に変えている。これをひとつの機として、散髪が流行る。明治九年には、散髪六割、髷四割との記録がある。
ジャンギリ頭をたたいてみれば、文明開花の音がする……
これが流行ったのも、この頃のことである。「ジャンギリ頭」が、今の洋髪であること言うまでもない。

「私と同じ連中が十三人も一緒に乗込んで居たことだ。銘々散髪令を当込んで、長崎で帽子襟巻買込もうという目的で、抜目なく乗込んだものだ。」

石井研堂著『明治事物起原』の一節である。これは明治四年頃の話。文中、「私」とあるのは、大坂の唐物屋、松本重太郎。後に舶来品を商って、富豪となった人物。
明治四年頃、松本重太郎は商用で神戸にいた。神戸で、京都の噂を耳にする。今度、京都でも断髪令が出されるとのこと。これを聞いた松本重太郎、その足で長崎に。長崎に着いて外国船に乗る。「オルゴニア」という船であったという。
松本重太郎、朝目が覚めてみると、同じ目的の唐物屋が十三人いた。「オルゴニア」号には舶来品が山と積まれていたのだ。
そこで十三人は公平になるよう相談して、洋品を買い占めるのである。松本重太郎は多く帽子を買ったという。この帽子が、大坂の店で売れに売れたという。この帽子の中には、おそらくソフトも含まれていたに違いない。

「茶の中折れを被つてゐる。中折れの形は崩れて縁の下から眼が見える。」

夏目漱石著『草枕』 ( 明治三十九年刊 ) の一文。これは雑木の中からあらわれた人物の帽子。漱石は、「中折れ」と書いている。もちろん、ソフトに他ならない。

「ソフトハットは昨年と大差なけれど、鍔狭く上り気味には裏皮は絹布を用ひ……」

明治三十九年『東京日日新聞』十一月十三日付の記事には。このように出ている。「裏皮」は、ハット・ライニングのことであろうか。ここでは「ソフトハット」となっている。明治三十九年には、「ソフトハット」とも、「中折れ」とも呼ばれたものと、思われる。

「左の手に軽くソフト帽を携へて、足を心持ちふんばり加減につつ立ち……」

豊島与志雄著『白血球』 ( 大正十年刊 ) の一行。これは、友人の中井刑事の様子。「ソフト帽」と書かれている。

「顔に影をつけているボルサリーノらしいソフト帽も、深く茶色がリボンも色も褪せていた。その代り品よく見えた。」

大佛次郎著『帰郷』 ( 昭和二十三年刊 ) に出てくる文章。これは物語の主人公、守谷恭吾が被っている帽子。
守谷恭吾は訳あって、戦前を外国で暮らした人物。だから「ボルサリーノらしい」となるわけだ。余談ではあるが、「顔に影を……」。これは上手な帽子の被り方の暗示でもある。
ボルサリーノであるか否かはさておき、自分にすっかり馴染んだソフトをひとつ、持っていたいものである。

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