ワインとブレイザー

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ワインをはじめて飲んだ日本人は、誰なんでしょうね。
ひとつの可能性として、島津貴久。島津貴久は名君。もちろん、鹿児島、島津の殿様。
天文十八年 ( 1549年 ) 九月。フランシスコ・ザビエルが、島津貴久に拝謁。キリスト教布教の許しを乞うために。
この折の献上品の中に、ワインがあったという。島津貴久がたしかにそのワインを飲んだ、との記録は見あたりません。でも、飲んだでしょうね。
フランシスコ・ザビエルは1506年頃の4月7日。ナバラ王国の生まれ。貴族の出身。バスクの人。
それはともかく今から四百数十年前の日本人は、ワインのことをなんと呼んだのか。「ちんだ酒」。あえて漢字にするなら、「珍陀酒」。
これはポルトガル語の、「ヴィンホ・ティント」 vinho tinto を耳で聴いて、「ティント」が「ちんだ」となったものでしょう。要するにこれは「赤ワイン」を指す言葉だったのですが。

「珍陀酒 のこと、葡萄をもって製し候に付、ウェインチンタと申し候。」

森島中良編『紅毛雑話』 (天明七年 ) にも、そのように出ています。「ウェイン」は、今のワインでしょう。「チンタ」は「赤」のこと。つまり日本人がはじめて出会ったのは、赤ワインだったのでしょうね。
ワインの中でもドイツ、モーゼル・ワインがお好きだったのが、スコット。スコット・フィッツジェラルド。『ザ・グレイト・ギャッツビー』で知られるアメリカの作家。

「ふたりはモーゼルを飲んだので、バーガンディーはおれのためだけに出してくれたのがわかった。」

A・E・ホッチナー著中田耕治訳『パパ・ヘミングウェイ』に出てくる一節。これはヘミングウェイがフィッツジェラルドに自宅に招かれた時の、回想部分なんですね。
「ふたり」が、スコットとその妻、ゼルダであることは言うまでもないでしょう。この時、フィッツジェラルドはヘミングウェイのために、六本のブルゴーニュ・ワインを並べていたという。食事を愉しみ、ワインを愉しんで。ヘミングウェイは結局、フィッツジェラルド邸に泊まることに。その翌朝。

「スコットは青いブレザーに白いフランネルのズボンという姿でやってきたが……」

うーん。ブルー・ブレイザーに、ホワイト・フランネルズ。そんな着こなしで、美味しいワインを飲みに行きたいものですが……。

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