フェルト(felt)

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神聖布

フェルトは毛氈のことである。フェルトは昔、「フエルト」とも書いたようである。フェルトはすでに日本語になって久しいが、それでもあえて日本語というなら、「毛氈」ということになる。
雛人形を飾る時、緋毛氈は欠かせない。と同時に毛氈の日本での歴史の浅からぬことを感じさせるものだ。茶店の腰掛にも緋毛氈が敷いてあったりしたものだ。さらに遡るなら、戦国武将は毛氈による陣羽織を好んだという。
フェルトは生地ではない。まして編地でもない。つまり糸を織ったものでも編んだものでもない。強いて言うなら、「搦めたもの」であろうか。その原料には多く羊毛が使われる。ただし上質の毛でさえあれば、ウールに限らず、搦めることによってフェルトになる。たとえばビーヴァーの毛を搦めたものが、ビーヴァー・フェルトである。
ウールをはじめとする毛であれば、それを搦み合わせ、熱と力で圧し固めれば、フェルトになる。もちろん実際には緻密で複雑な工程を必要とするのだが、理屈だけを言えば、決して間違ってはいない。
織っても編んでもいないフェルトの特性は、任意の線で切ったとしても絶対に解れないことである。これは布地、編地には考えられないことだ。この特質ゆえ、手芸などにもよく使われるのである。

「帽子・敷物・机掛・草履その他種々のものに用ひられる。用途に従って布状にしたもの、靴形にしたもの、また帽子状にしたものなどがある。」

三省堂編『婦人家庭百科辭典』では「フェルト」をそのように説明している。
そういえば昔、机の上に緑色の布を敷いたものである。その上にさらにガラス板を置いたりもした。あの緑色の布もまた、フェルトであったのだ。さらに小学校の習字の時間に、黒い布を使うことがあった。黒い布の上に半紙を拡げて、文字を書いた。あの黒い布のフェルトだったのである。
フェルト felt は古いドイツ語の「フィルツ」 filz と関係があるらしい。英語としてのフェルトは遅くとも1000年頃から使われているようである。

「彼らはフェルトで拵えた守り神を携えていた。」

英国の探検家、サミュエル・パーチャス著『パーチャス巡礼記』 ( 1613年刊 ) の一文。日本でいう「御守り」のようなものであったのか。すでにふれたように、フェルトを切りことで、いかなる形にも仕上げることができただろう。

「その帽子はレスター州のフェルトで作られていた。」

ダニエル・デフォー著『英国の商人』 ( 1743年刊) に出てくる一節。ここからも分かるように、フェルトとハットは直接に関係している。極論ではあるが、フェルトは帽子のためにある。フェルトがなくては帽子は出来ない。それほどにフェルトは帽子に最適の素材なのだ。フェルトはどんな形にも仕上げられるからである。ただしフェルトが帽子以外にも応用範囲が広いことも、言うまでもない。

「日が暮れてから、フェルトの靴を履いた何人かの客がやって来た。」

チャールズ・ディケンズ著『ドンビーと息子』(1848年刊) にはそのような文章が出てくる。この「フェルトの靴」が、フェルト製の靴なのか、それともフェルト底の靴なのか定かではない。ただ、昔の靴にはフェルト底が少なくなかったようである。それは丈夫で、柔らかく、音がしなかったからである。
フェルトの歴史は少なくとも紀元前三世紀に遡るという。事実、ロシア「エルミタージュ博物館」には、紀元前三世紀と思われるフェルトが保存されている。
伝説によれば、フェルトを発明したのは僧侶だと考えられている。彼は靴の中に羊毛を詰めて巡礼の旅に出た。長旅を終えてみると、靴の中の羊毛はフェルトになっていたのである。それはフランス、カーンの僧侶、セント・フートルであったと伝えられている。

「レジネフの従僕といふのは頭髪の縮れた頬の赧い若い男で、鼠色の外套に青い帶を締めて、柔らかいフェルト氈の靴を穿いていたが……」

ツルゲーネフ著二葉亭四迷訳『うき草』 ( 明治三十年 ) の一文。これもまた、「フェルト靴」なのか、「フェルト底の靴」なのか。それはともかく「フェルト氈」と訳されている。明治三十年頃には、日本でもフェルトが知られていたのであろう。

「彼の帽子も其頃の彼には珍しかつた。淺い鍋底の様な形をしたフエルトをすつぽりと坊主頭へ頭巾のやうに被るのが、彼に大人の滿足を與へた。」

夏目漱石著『道草』 (大正四年 ) には、そのように出ている。これは「健三」という少年が誇りに思っている帽子なのだ。
フェルトを語ろうとすると、どうしても、帽子から離れられないようである。

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