ひょうたん島といえば、『ひょっこりひょうたん島』でしょうね。もちろん、NHKの、人形劇。『ひょっこりひょうたん島』が、日本人に与えた影響は、少なくないでしょう。
『ひょっこりひょうたん島』の原作を書いたのが、井上ひさしと、山元護久。おふたりは偶然、同い年だったそうですね。井上ひさしは、「遅筆堂」を名乗るくらいに、懲りに凝って文章を書いた人。
井上ひさしと、山元護久は、どこで原作を書いたのか。喫茶店で。田村町あたりの喫茶店をハシゴしながら、『ひょっこりひょうたん島』を、書いた。喫茶店で珈琲を飲みながら、脚本を。それで飲んだ珈琲は、一月に二百杯になったという。
その頃、NHKは田村町にあって、書き上げた原稿を届けるのにも、便利だったのでしょう。もし『ひょっこりひょうたん島』の台本を開いたなら、たぶん珈琲の香りが立ち昇ったに違いありません。
井上ひさし邸でのおもてなしは、「アッフォガート」であったという。「アッフォガート」は、ヴァニラ・アイスクリームの上から熱い珈琲を注いだデザートふうのものだったそうですね。
同じく珈琲がお好きだった俳人に、永田耕衣が。永田耕衣の本名は、軍二。1900年に、加古川に生まれています。
晩年や コーヒーにうつる 赤とんぼ
珈琲や 葱を想ひて 熱かりき
コーヒー店 永遠に在り 秋の雨
これらをはじめとして、多くの「珈琲句」を詠んでいます。ところで「コーヒー店」とは、どこの喫茶店なのか。たぶん神戸にあった「プチ」でしょうね。
「プチ」は、永田耕衣のご自宅からも近かった。永田耕衣はお客があると、蕎麦に誘った。まず「明月」で、蕎麦を手繰る。それから「プチ」で、キリマンジェロの珈琲を飲むのが、いつものことだったそうです。
「明月」に、「プチ」に行く時、永田耕衣が羽織ったのが、インヴァネス。ラッコの毛皮えりのついた黒いインヴァネスを。
インヴァネスも、『ひょっこりひょうたん島』も、懐かしいものになってしまいました。
インヴァネスを羽織って。ひょうたん島へ行くのは、夢のまた夢なんでしょうね。