ピカソとドンゴロス

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ピカソがバスク・シャツを愛用したのは、よく知られていますよね。
ピカソはスペイン、マラガのお生まれ。バスクは大きく分けて北バスクと南バスクと。南バスクは、スペイン・バスクとも。ピカソの想いとしてはバスクに近いものがあったのでしょう。
ピカソがはじめてパリに行ったのは、1900年のこと。これは、旅として。パリに住むようになったのは、1902年からのこと。
そのパリで知り合いになったひとりが、ガートルード・スタイン。ガートルード・スタインもパリに住んで、絵のコレクターでしたから、知り合ったのも当然でしょう。
友だちになったガートルード・スタインはピカソに肖像画を描いてもらう。でも、ガートルードとしてはその肖像画が気にいらない。何度も描き直してもらったそうです。1906年こと。
1906年に生まれてのが、ジョン・ディクスン・カー。ジョン・ディクスン・カーはアメリカ生まれですが、多くイギリスで活躍したミステリ作家。 そのディクスン・カーが、1934年に発表したのが、『盲目の理髪師』が。この中に。

「ドンゴロスのズボンに縞のメリヤス・セーターといういでたちの……」

この物語は豪華客船が背景で、一等水夫の姿。「ドンゴロス」は和製英語。たとえばコーヒー豆を入れるような麻袋、またはそれに似た粗い麻布のこと。
さて、麻のトラウザーズで。ピカソの絵を観に行くとしましょうか。

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