失恋と水玉

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失恋経験は誰にもありますよね。
ナゲルマケールスにも、辛い失恋がありました。ナゲルマケールスの名前はちょっと長いんですが。
ジョルジュ・ランベール・カシミール・ナゲルマケールス。この長い名前のジョルジュは、ベルギーの生まれ。1848年6月24日、リエージュに生まれています。ジョルジュのお父さんは、エドモン・ナゲルマケールスで、ナゲルマケールス銀行の経営者。ジョルジュは十九際で、大恋愛。年上の従姉妹に、恋を。これが周りの猛反対に会って。猛反対だけでなく、追放。アメリカに行かされてしまう。1867のことです。
アメリカに行ったジョルジュは、プルマン兄弟に出会う。ジョージ・プルマンに。「プルマン・スリーピング・カー」で知られる、あのプルマンに。
ここから、少し急ぎましょう。ジョルジュはプルマンに出会って、出資。ここから「オリエント急行」が生まれるんですね。1883年のこと。
「オリエント急行」にもいくつかの種類があって。パリを出てブカレストに向う夢の特急が、最後の旅をするのが、1961年5月28日。
1909年の5月28日に生まれたのが、イアン・フレミング。もちろん、ジェイムズ・ボンドの生みの親。イアン・フレミング著『ドクター・ノオ』の中に。

「クリーム色のタッサーの背広から、不似合いなウイング・カラーと水玉の蝶ネクタイをのぞかせた総督は、大きなマホガニーの机の前にすわっていた。」

ジャマイカ駐在の、英国人総督の着こなし。
水玉のタイを結んで。失恋物語を探しに行くとしましょうか。

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