ディオールはもちろん、クリスチャン・ディオールですよね。
クリスチャン・ディオールは、1905年1月21日。フランスのノルマンディに生まれています。それで、と言って良いのかどうか、ディオールは21という数字が好きだったようです。と同時に、ディオールは占いが好きだった。なにかを決める時、占い師に相談することがあったという。
クリスチャン・ディオールがオートクチュール・デザイナーとして独立するのは、1946年のこと。それまでは、ルシアン・ルロンのアトリエで、この時、一緒に働いていたのが、ピエール・バルマンなんですね。
クリスチャン・ディオールが独立する前、まずはじめに決めていたのが、場所。なんの目当てもないのに、第六感で、モンテーニュ街だと。それもモンテーニュ三十番地の、「ボスリー館」に。
「ぼくのメゾンはここにするんだよ。」
その想いはやがて実現するんですが。
モンテーニュ三十番地で、はじめてもコレクションが開かれたのが、1947年2月12日のこと。コレクションがはじまったのは、10時30分。「ヌメロ・アン」。最初のモデルは、マリー・テレーズだったと記録されています。肩パッドを抜き、ウエストを細めた花のように柔らかいシルエットは、大好評。
このコレクションを観たカーメル・スノーが、言った。「ニュー・ルック」と。カーメル・スノーは当時の『ハーパズ・バザー』の編集長。それで、後のちまで「ニュー・ルック」として有名になるのです。
ニュー・ルックの経済効果はアメリカだけで、30億ドルと算定されたという。
1947年に発表されたのが、『孤独な場所で』。ドロシイ・B・ヒューズのミステリ。この中に。
「上着を三着、紺のフランネルと、白のツイード……」
これは主人公で作家の、ディックス・スティールが、店で服を買う場面。
なにか好みのフランネルを着て。ディオールの似合いそうな女性を探しに行くとしましょうか。