ラプソディーとカフス・ボタン

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ラプソディーで、名曲で、となれば、『ラプソディー・イン・ブルー」でしょうね。
『ラプソディー・イン・ブルー』。そもそもの発端は、ポール・ホワイトマンなんだそうです。
ポール・ホワイトマンは1924年のはじめ。『アメリカ音楽とは何か』を決めようと、思いつくんですね。
これぞ「アメリカ音楽」と思うものを作りなさい。で、どれが「アメリカ音楽」なのか、決めてもらおうじゃありませんか、と。
ただし、それを決める審査員が、豪華。セルゲイ・ラフマニノフ。ヤッシャ・ハイフェッツ。エフレム・ジンバリスト……。
この予告をガーシュインが耳にしたのが、1924年の1月4日。ちょっと信じられなかってので、ポール・ホワイトマンに電話。すると、「ほんとうだ」と。ただし、その演奏会は、2月12日に予定されていて。ガーシュインとしても作曲に割く時間がない。その時、ガーシュインは『優しい小悪魔』に取りかかっていたから。
『優しい小悪魔』の試作公演のために、ガーシュインはNYからボストンに列車で。その列車の走る音を聴いているうちに、『ラプソディー・イン・ブルー』の一部が浮かんできたという。
1924年2月12日。演奏会。多くの作曲家の、多くの曲が。『ラプソディー・イン・ブルー』は、二十二番目。たいていの観客は居眠り。ところが『ラプソディー・イン・ブルー』がはじまったとたん、目を覚ましたそうです。
1924年に発表されたのが『グレート・ギャッツビー』。もちろん、フィッツジェラルドの物語。この中に。

「あんた、あたしのカフス・ボタンを見ているんだね?」

という科白が出てきます。これはギャッツビーの友人、ウルフシャイムの言葉。そのカフ・リンクスは、アイヴォリー製という設定なんですが。
なにか自分の好きなカフス・ボタンで。『ラプソディー・イン・ブルー』を聴きに行きたいですね。

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