国際結婚は、いつ頃からあったんでしょうね。
ラグーザ玉もわりあいはやいほうではないでしょうか。ラグーザ玉の本名は。清原多代。多世とも書いたそうですが。
実家は東京、芝、増上寺の事務方だったそうです。多代は幼いころから、絵が上手で。もちろん日本画を習って、「永寿」の画号を持っていたという。
明治九年に。ヴィンチェンツォ・ラグーザが日本に。ヴィンチェンツォ・ラグーザはイタリアのシチリア島、パレルモに生まれた彫刻家。明治政府に招かれて、日本に彫刻を教えに。
明治十一年。ヴィンチェンツォ・ラグーザは、多代と出会って。彫刻のモデルになってもらう。今も、多代をモデルにしたヴィンチェンツォ・ラグーザの彫刻が遺っています。多代はモデルになっただけでなく、西洋画についてもラグーザに学んでいます。
明治十三年になって。清原多代は、ヴィンチェンツォ・ラグーザと結婚。それで、「ラグーザ玉」となるんですね。
明治十五年には。ラグーザ玉、ヴィンチェンツォとともに、パレルモへ。ラグーザ玉はパレルモで西洋画家となるわけです。
ところで。ラグーザ Ragusa はイタリアの地名でもあるんだそうです。このラグーザから生まれた言葉が、「アーゴシー」 argosy 。「アーゴシー」は、「大型船」。ことに財宝を満載した大型船の意味。
『アーゴシー』 Argosy は、1882年に創刊された雑誌の名前でもあります。
1937年『アーゴシー』6月号に掲載されたのが、『葬式』。もちろん、ウイリアム・アイリッシュのミステリ。この中に。
「グレイのアルスター・コートにグレイのソフトをかぶったふたり目の男は…………」
これはどうも、刑事の様子らしい。1936年頃のNYでは、刑事がアルスター・コートを着ることがあった。そう考えても、大きな間違いではないでしょう。
アルスターは、1860年代に登場した、旅行用の外套が基本になったものです。