トルストイとスーツ

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トルストイは、ロシアの文豪ですよね。
トルストイも立派なお方ですが、ソフィアも偉い。ソフィア・マングレーヴナは、トルストイの奥さん。
ソフィアは十八で、三十四歳のトルストイと結婚しています。で、十三人の子どもを作っていますから、これだけでも立派なものですが。
かてて加えて、ソフィアはトルストイの清書係でも。トルストイのロシア語の直筆は、読みにくくて。しかもトルストイは何回も書き直す。あの長篇『戦争と平和』、七回、書き直したという。もちろん、ソフィアが清書したんですね。ソフィアは、偉い。
ところでトルストイに、『モーパッサン論』があります。1894年4月2日に書いています。どうしてトルストイは『モーパッサン論』を書いたのか。
ある日。ツルゲーネフがトルストイのところにやって来て。
「これを、読め。」
と言う。それがモーパッサンの『メゾン・テリエ』だったんですね。
トルストイは『メゾン・テリエ』を読んで、感動。それですぐに『モーパッサン論』を仕上げたという。
モーパッサンの『メゾン・テリエ』は、1881年の発表。どうしてモーパッサンは『メゾン・テリエ』を書いたのか。
1880年のある日のこと。モーパッサンの家に友だちが集まって、歓談。世間話。その時、ある雑誌の編集長が噂話を。
「ある娼館が、初聖体のためにお休みだとさ………」。
それを聞いたモーパッサン。
「それは短篇の題にぴったりだねえ……」。
しかし皆は、言った。「そんなものは話にもならんよ。」
それからざっと半年後に生まれたのが、『メゾン・テリエ』。今では、モーパッサンの代表作のひとつになっています。『メゾン・テリエ』の中に。靴下留めの行商人が出てきます。この行商人が、最新の、ラウンジ・スーツを着ているらしい。「らしい」というのは、文中での説明はないから。でも、ロベール・ボンフィスの添えた挿絵には、ラウンジ・スーツ姿になっています。1880年ころの、フランスの行商人はたぶんスーツを着ていたのでしょうね。

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