シナトラは、もちろん歌手ですよね。あのフランク・シナトラのことであります。フランク・シナトラには多くの名曲があって。たとえば、『マイ・ウエイ』だとか。『フライ・トゥ・ザ・ムーン』だとか。『ウエン・ユア・スマイリング』だとか。
1940年代のフランク・シナトラは、アイドルだったのです。つまり若い女性の間で、人気があって。ティーン・エイジャーの人気者だった。
1940年代の新しいティーン・エイジャーの別名を、「ボビー・ソクサー」とも呼んだのです。いつも白い靴下を低く折り返して履いていたから。1940年代アメリカでは、ボビー・ソクサーとシナトラとは、無関係ではなかったのです。
1950年代のフランク・シナトラは、新しい考え方の持ち主でもありました。たとえば、サミー・デイヴィス・ジュニアーと仲良しだったりして。
1950年代のアメリカにはまだ人種差別の気分があって。でも、シナトラは平気で一流の劇場で、サミー・デイヴィス・ジュニアーと共演もしています。当時としては異例のことだったのですが。
フランク・シナトラは一時期、ケネディとも親交があったようです。1959年頃のこと。
1960年7月10日。フランク・シナトラはケネディのために、パーティーを開いています。ベヴァリー・ヒルズ・ホテルで。もちろんケネディを大統領にするのが、本当の目的だったのですが。とにかくこの日は客が集まりすぎて。会場を二つにしたほどだったそうです。
シナトラは「キス」を含む歌も、多く歌っています。『キス・ミイ・アゲイン』や、『ウイ・キス・イン・ア・シャドウ』など。
エド・マクベインの小説にも、『キス』があります。エド・マクベインはシナトラにキスの歌を歌わせたかったらしく。『キス』の中で作詞までしています。
エド・マクベインが、1996年年に発表したミステリに、『寄り目のテディベア』があります。この中に。
「白麻の背広を着て、白いエナメルの靴をはき、背広の上着の下には鮮やかなブルーの木綿のスポーツシャツを着て……………」。
これはアメリカの玩具会社の面接担当者の着こなし。
戦前には日本でも、盛夏には皆、白麻背広を着たものです。それが常識だったから。もう一度、復活してもらいたいものです。
そういえば、1930年代のシナトラもまた、白麻のスーツで舞台に立ったことがあるようですね。