フランス語は、美しい言葉ですよね。もっとも私自身はまったくフランス語を解しませんが。
フランス語を話している人を見ると、なめらな音楽を聴いている気分になります。フランス人も、「フランス語は世界でもっとも美しい言葉」と、考えているようですね。今から三百年ほど前なら、たぶん日本語が「世界でもっとも美しい言葉」だったでしょうが。さて、今はどうなんでしょうか。
フランス語が粋な言葉であることは、アメリカ人も認めるところであります。
「さようならを言うことは、少しだけ死ぬこと。」
これに添えて、マーロウはこのように言う。「フランス人はどんな時にもいい言葉を知っている、と。
これはレイモンド・チャンドラーの、『長いお別れ』に出てくる科白なんですが。
ロシアの文豪、ツルゲーネフにも多くフランス語が出てきます。もっとも帝政ロシアの貴族階級では、フランス語がごく一般的だったそうですから。ツルゲーネフの『はつ恋』を読んでいると。
「二人はフランス語で話し合っていたが、わたしは今でも思い出す、ジナイーダの発音の奇麗さに、びっくりしたものである。」
「二人」とは、ジナイーダと、主人公の少年の父親なんですが。ツルゲーネフの代表作に、『猟人日記』があるのは、言うまでもないでしょう。『猟人日記』の中に。
「絹綿天鵞絨のズボンを穿いて、縁飾りのある長靴を穿いて、赤い襯衣と……………」。
これは、ワシーリイ・ニコラーキッチという人物の着こなし。
「絹綿天鵞絨」の脇には、「ふらしてん」のルビが振ってあります。これは「プラッシュ」 pLush のこと。この「プラッシュ」を日本語にしたのが、「フラシ天」なのですね。
ふらしてん、つまりプラッシュは、毛足の長い絹地。たとえば、シルク・ハットの表面に用いられるのも、プラッシュ。でも、プラッシュのズボン、穿いてみたいです。
プラッシュのパンタロンを穿いたら、フランス語が少し解るようになるでしょうか。