断食とダンガリー

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断食というのがあるんだそうですね。もちろん、ある明確な意思のもとに、食を断つこと。私にははるか遠い夢物語です。私はどちらかといえば食べるために生きている側の人間でしょうから。
その理由はさておき、「断食」の考えがあるのは間違いないでしょう。体型のために、健康のために、悟りを開くために。
昔むかし、釈迦は断食をしたそうですね。菩提樹の下で座禅を組んで。釈迦が断食を終える頃、美しく少女、スジャータが粥を持ち、体力を取り戻したとの伝説があります。
イエス・キリストもまた、断食によって悟りを開いたという。荒野の中でたった一人、四十四日の間、断食の行を。
必ずしも悟りとは関係なく、「断食芸」というのもあったらしい。断食芸があったからには「断食芸人」もいたわけで。それを小説にしたのが、『断食芸人』。1924年に、フランツ・カフカが発表した物語。

「ここ数十年のあいだに、断食芸人たちへの関心はいちじるしく後退してしまった。」

カフカの『断食芸人』は、この一行から書きはじめられています。不条理の小説とも言えるでしょう。不条理の小説としては、『異邦人』があります。アルベエル・カミュが、1942年に発表した物語。
カミュの『異邦人』は、1967年にヴィスコンティ監督で、映画化。その主演を演じたのが、マルチェロ・マストロヤンニ。マストロヤンニは、ある時、こんなことを言っています。

「パリでデニムのシャツを買ったんだけど、ブランドのマークが入っているのに気がつかなくてね。これが耐えられないんだ。」

デニムのシャツもあれば、ダンガリーのシャツもあるでしょう。まあ、そんな時にはブランドのマークをそっと外しておくんでしょうね。もっともブランドのマークが気になるようでは、とても断食には、向いていないのでしょうが。

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