ストラヴィンスキーとスェーター

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ストラヴィンスキーは高名な音楽家ですよね。イゴール・ストラヴィンスキー。1882年6月18日。ロシアのペテルブルク、オラ二ェンバウムに生まれています。
ストラヴィンスキーの先生が、リムスキー・コルサコフ。代表作は、『火の鳥』でしょうか、『春の祭典』でしょうか。
ストラヴィンスキーの弟子だったのが、ロバート・クラフト。ロバート・クラフトはいつ、どのようにして、ストラヴィンスキーと会ったのか。ロバート・クラフト著『ストラヴィンスキー 友情の日々』に詳しく出ています。

「ワイン色のバスローブをはおったS氏が、彼女の後ろで待っている。」

これは1948年3月31日のこと。文中の「S氏」がストラヴィンスキーその人であるのは、言うまでもありません。この日、ロバート・クラフトは、アメリカ、ワシントンに住んでいたストラヴィンスキーの自宅を訪ねています。この日から、ロバート・クラフトはストラヴィンスキーの弟子となるのです。
1959年に、ストラヴィンスキーが日本を訪れた時にも、ロバート・クラフトは同行しています日本に着いたのが、1959年4月5日。この日の夜は、当時あった「花の木」に招待されています。その後、銀座のバア行ったらしいのですが。
ストラヴィンスキーが出てくる劇に、『コクトオ』があります。ジャン・マレエの一人芝居。1983年9月30日初演。ジャン・マレエが、ジャン・コクトオを演じる、二時間のモノロオグ。
1985年4月。『コクトオ』は東京の「草月会館」でも上演されています。その時、ジャン・マレエを楽屋に訪ねたのが、岩崎 力。『私のジャン・コクトー』中に次のように書いています。

「二時間にも及ぶ一人芝居を終えて、寛いだセーター姿に着替えたばかり…………。」

ジャン・マレエの、楽屋でのスェーター姿。それは、どんなスタイルだったのか。Vネックだったのか。薄手だったのか。妄想は果てしなく続くのですが。

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