チャップリンと縮緬

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チャップリンは、もちろん喜劇王こと、チャーリー・チャップリンですよね。喜劇王、チャップリンは英國生まれで、日本が好きだった。チャップリンはどうして日本が好きだったのか。ひとつには、怪談。チャップリンは怪談がお好きで、小泉八雲を読んでいた。で、日本に興味を持っていたとの、説があります。
それはともかく、チャップリンは都合四回、日本を訪れています。第一回の来日は、昭和七年五月十四日。神戸港に着いています。神戸からただちに東京へ。
東京では当時、銀座にあった天麩羅屋、「花長」へ。チャップリン「花長」の海老天麩羅がお気に召して。結局、三十本の海老天麩羅を食べたという。
チャップリンが三回目に日本を訪れたのが、昭和十一年五月十六日。やはり神戸港に錨を下ろしています。「鹿島丸」で。
この「鹿島丸」に偶然に乗り合わせていたのが、ジャン・コクトオ。ジャン・コクトオは「八十日間世界一周」の途中に日本に寄ったのでした。チャップリンはコクトオに会いたかったこともあって、話が弾んだとか。もっともコクトオはフランス語、チャップリンは英語だったらしいのですが。
コクトオは神戸から京都に出て、お茶屋遊び。この案内をしたのが、堀口大學。コクトオは藝者の所作を絶賛。
神戸から夜行列車で、横浜へ。横浜に着いたコクトオは、スーツの上にスカーフを軽く巻いていた。それはよく見ると、京都の藝者からもらった、縮緬の風呂敷だったという。コクトオは、グレイ・フランネルのスリーピース・スーツで、その上に「スカーフ」。
ぜひ一度、試してみたいものですが…………。

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