イタリア語は、明るい言葉ですよね。そうは言っても、ただ響きだけを音楽のように聴いただけの話ですが。
イタリア語、私はまったく解しません。私にとってのイタリア語は、小鳥の美しい囀りによく似ているのです。
生まれてはじめてイタリアに行った時、ひとつだけ印象に遺った言葉がありました。それは、「オカピート」。なんだか日本語の「おかしーと」に似てると思ったので。でもその意味はもちろん「おかしーと」ではなくて、「了解」だとか。「承知致しました」の意味だったらしいのですが。
イタリア語が出てくる小説に、『孤独』があります。英国の作家、ウィリアム・トレヴァーが、2004年に発表した短篇。トレヴァーの短篇集『密会』に収められている物語。
「グラッツィエ・シニョーラ」。彼は私に切符を返して………………」。
これはイタリアの鉄道駅での様子。イタリアの駅でイタリア語が出てくるのは、当たり前のことですが。
主人公の女性は、イギリス人で、故あってイタリアのボルディゲーラに一人で住んでいるという設定になっています。ボルディゲーラのホテル、「レジーナ・パレス」に。ボルディゲーラは、北イタリア。「長靴」のほとんど付け根のあたりの海辺の町。
なぜ主人公はボルディゲーラに一人で住んでいるのか。その昔、彼女の父と母とがはじめて出会った場所なので。トレヴァーの小説には、なぜかこのような組立てが多いのですね。
ほぼ同じ頃に発表された『密会』を読んでいると。
「今朝は、淡い色の薄手のズボンとジャケット、青いイートン・シャツに青と赤のストライプのネクタイを締めている。」
これは四十代の会計士である「彼」の様子を、「彼女」が眺めている場面。
でも、「イートン・シャツ」とは何か。あるいは「スプレッド・カラー」のことなのでしょうか。
おそらく「彼」が、イートン校の出身であることを匂わせておきたかったのでしょう。