スタイルの美しい人には、ただただ、憧れますよね。でも、「スタイルとは何ぞや」と、考えはじめると、難しくなってしまうんですが。
昔むかし、「ストゥロス」というのがあって、「尖筆」。まあ、先の尖った細い棒。これで粘土板なんかに文字を書いた。ここから「文」の意味が生まれて。さらには、「文体」をも指すようになったんだとか。
文体なんですが。明治二十八年に、国木田独歩が戀文を書いています。
「ああ、わが戀しき乙女や、命も御身に捧げじぞや。」
佐々城信子に宛てて。日付は、明治二十八年六月九日になったいます。あの名文家、国木田独歩が。これなんかはもう文体を超えた文体なんでしょうね。
文体といえば、村上春樹がこんなことを言っております。
「夏目漱石や谷崎潤一郎や三島由紀夫の文章は、あるいは吉行淳之介 (吉行さんはまだ現役なので確言はできないけれど ) の文章はワープロやパソコンでは書けない…………………。」
なるほど。さすがに小説家の目は鋭いですね。村上春樹著『やがて哀しき外国語』には、そのように書いています。『やがて哀しき外国語』は、良い本です。村上春樹という精巧なレンズで、アメリカを覗くには、最良の書物になっています。
どうして村上春樹はワープロの話を出したのか。村上春樹自身、ある時、手書きからワープロに変えた。すると編集者や友だちから、「何か変化があったか?」といった式の質問を多く受けた。たぶん、そんなことと関係しているのでしょう。
『やがて哀しき外国語』には、こんな話も出てきます。
「夏場とはいえTシャツに汚いスニーカーという軽い恰好で店に入っていった僕はすごく恐縮してしまった記憶がある。」
これはある時、村上春樹がボストンの「ブルックス・ブラザーズ」へ行った折の印象。
そもそもボストンは、アメリカであってアメリカではないような所。日本での、小京都に倣っていえば、「小英國」。
ボストンの、「ブルックス・ブラザーズ」に、Tシャツとスニーカーは、ちょっとした冒険だったはず。村上春樹でなくとも「恐縮」したに違いありません。
もっともスニーカーを履いていても、スタイルに風格がそなわるようなら、別の話ではありますが。