コロンボはもちろん、TV映画の『コロンボ警部』でしょうね。コロンボ警部を名演したのが、ピーター・フォーク。ピーター・フォークとコロンボ警部との共通点はひとつあって、愛妻家。実際の生活でも、なにかにつけて。「うちのカミさんがね…………………。」と言ったりしたんだそうです。
『ピーター・フォーク自伝』に出ている話なのですが。
ピーター・フォークが奥さんの他にもう一人愛したのが、ブランド。マーロン・ブランド。いや、この場合には同じ俳優としての尊敬の念であったのでしょうが。ただし、それは絶対的尊敬だったという。たとえば、こんな話が紹介されています。
1962年の映画『戦艦バウンティ』。この中で主役のフレッチャー副官を演じるのが、マーロン・ブランド。『戦艦バウンティ』は実際にあった話で、何度も映画化されているのですが。
さて、『戦艦バウンティ』の中で、フレッチャー副官が病いの冒される場面が。悪寒が止まらない。この演技のためにマーロン・ブランドはどうしたか。
マーロン・ブランドはスタッフに言って、等身大の氷を用意させた。で、ブランドはその等身大の氷の上に裸で、寝た。寒い、がたがた顫える。それで悪寒の演技をこなしたという。
マーロン・ブランドは演技のコツは、カメラをまったく意識しないことにあると信じていた。事実、ブランドは常に、カメラなきがごとくにふるまった。そしてそのための方法。科白を意識しないこと。ために、ブランドが科白を頭に入れないのは、有名だったそうですね。
いや、コロンボの話でした。
コロンボはまた地名でもありまして。スリランカの街ですね。
明治四十二年に、コロンボを旅したお方に、寺田寅彦がいます。
「顔を洗って甲板へ出たらコロンボへ着いていた。」
明治四十二年四月十八日の『旅日記から』には、そのように出ています。
寺田寅彦の『旅日記から』にはこんな話も書かれているのですが。場所は、シンガポールにて。
「自分の持っている蝙蝠傘をほめて、売ってくれという。売るのがいやなら宝石と換えぬかという。」
これはシンガポールでの宝石店での、話。その時、寺田寅彦は宝石にも匹敵する蝙蝠傘を持っていたのでしょう。
一度でいいから、宝石のような傘を携えて、シンガポールに旅したいものですが………………。