ディケンズとティルス

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ディケンズはもちろん、チャールズ・ディケンズですよね。
チャールズ・ディケンズは、1842年にアメリカを訪問。講演旅行で、アメリカ各地を回っています。今の時代はさておき、十九世紀中葉においては、英國人作家の講演は、アメリカで人気があったのです。
ディケンズは、このアメリカ旅行の時、無数の変りチョッキを用意していたという。
明治の日本人で、ディケンズに興味を持っていた人物に、内田魯庵がいます。内田魯庵は明治三十六年『學燈』一月号に、ディケンズ論を発表。ただし、「ヂツケンス」の表記になっています。
『學燈」は当時、「丸善」が出していた、書籍研究書。その頃、内田魯庵は、「丸善」の顧問でしたから、『學燈』に研究を発表するのも、当然のことだったでしょう。
では、なぜ、内田魯庵は「丸善」の顧問になったのか。それは一冊の本、『アンナ・カレニナ』が縁となったらしい。内田魯庵はかねてから、トルストイの、『アンナ・カレニナ』を探していて。やっと、横濱の洋書屋「ケリー・アンド・ウォルシュ」で発見。
魯庵はその『アンナ・カレニナ』を持って、「丸善」に。
「どうして、このような本を並べないのか?」
これで、その場で招かれて、顧問に。以降、「丸善」の業績は好調であったという。
魯庵の『文學者となる法』の中に。

「ゴオルドオスミッスは伊達を好みし寛濶男なり。「タイル」染めの藤色絹の洋袴を穿き黄金の頭附きたる杖を持て…………………。」

と、書いています。ここの「タイル」は、ティルス Tyr us のこと。古代の小さな漁港。今のレバノン、スールのこと。
むかし、ここの「紫貝」が有名だった。紫貝は、ごく少量の分泌液を吐く。これで染めてパープルが高く評価されたのです。そこで「ティルス」の色名が生まれたのです。
なにか、パープルの服を着て。ディケンズの本を探しに行くとしましょうか。

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