濱田と半ズボン

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濱田は、それほど珍しくはない姓ですよね。でも、濱田庄司となると、そうざらにはいません。
濱田庄司は、優れた陶芸家でありました。ことに「民藝」に力を注いだ作家でもあります。この濱田庄司、実はモオドと関係なくもないのです。
それは濱田庄司が、イギリスの彫刻家、エリック・ギルと親交があったから。エリック・ギルはたしかに優れた彫刻家でありました。が、その一方で、卓越のタイポグラファーでも。ABCの活字を創ってもいます。
そして、さらに『衣裳論』の著者でも。エリック・ギルは彫刻を完璧に成すにはその器である衣服にも無関心ではいられなったのでしょう。
エリック・ギルの『衣裳論』に影響を受けたひとりが、花森安治。『衣裳論』の中には、「女がトラウザーズを穿いても良いように、男もスカートを穿いても良いではないか」と、書いています。花森安治はこれを実践したのです。
戦後間もなく、花森安治はある女性政治家と対談。その女性政治家は対談終えて、花森安治の肩を叩いて、こう言った。

「まあ、女同士、頑張りましょう!」

件の女性代議士はすっかり花森安治のことを女とばかり思っていたのです。これはひとつには花森安治がスカートを穿いていたからでしょう。
いや、濱田庄司に戻ります。濱田庄司は、1921年の秋、英國でエリック・ギルに会っています。

「細長いその食堂にはギル自身で刻んだ大きな大理石のろが据えられて、赫々と火が燃え、食卓にはピューターの皿に冷肉、木皿にパンが盛られていた。」

濱田庄司は、昭和八年に書いた『ギル訪問』という随筆に、そのように書いています。
イングランド、サセックス州、ディッチリングの、エリック・ギルの自宅を訪ねて、夕食をご馳走になった時の様子なのです。
エリック・ギルは、1894年の生まれ。濱田庄司は、1882年の生まれ。ちょうどひとまわり、エリック・ギルがお兄さんということになるでしょうか。
ところで濱田庄司は甘党だったらしい。濱田庄司といえば和菓子が似合いそうなのですが。実は、チョコレエトがお好きだった。ハーシーのキスチョコが。それで仕事場のそばにはいつも、ハーシーのキスチョコが置いてあったという。
ハーシーはハーシーでも、そのココアを毎朝のように飲んでいたのが、林 京子。戦前の、中国での話。
林 京子は、1930年に、長崎市で生まれています。でも、父の仕事の都合で、戦前の多くを中国で暮した経験を持っています。
林 京子著『ミッシェルの口紅』は、その時代を描いた、短篇連作になっているのです。

「私たち一家の洋食は、フランスパンとドイツソーセージと、一つ覚えのハーシイから進歩することはなかったが………………」。

林 京子は「ハーシイ」と書いています。繰り返しますが、この「ハーシイ」は、ココアとしての。
また『ミッシェルの口紅』には、『映写幕』の名短篇も収められていて。

「上海商業の冬の制服は、紺サージの詰襟に半ズボンをはき、膝下までの黒の靴下である。」

これは、「津田の兄」の様子。いいですねえ。半ズボンに、黒のホーズ。これならきっとハーシーのキスチョコがお似合いでしょうね。

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