葡萄酒は、ワインのことですよね。今は多くワインと言って、葡萄酒とは言わないらしい。
日本のレストランに行って、「葡萄酒をもらおうか」とは言いません。「ワインは何にしようか」というのがふつうのことでしょう。
江戸時代にはもちろん「葡萄酒」。ただし、「ぶどうさけ」の言い方が一般的だったようですが。それから昭和の時代になっても、戦前までは「葡萄酒」があたりまえだったようです。
では、いったいいつから、葡萄酒がワインになったのか。さあ。
「平生の食事には、赤葡萄酒又は「シェリー」酒其ほか「ポルトワイン」等を用ゆるなれども、式日亦は客を饗應する時などには、「シャンパン」其外種々の美酒を用ゆ。」
福澤諭吉著『西洋衣食住』には、そのように出ています。
文中、「赤葡萄酒」の横には「ワイン」のルビがふっているのですが。
日本にはじめて「ワイン」を紹介したのは、福澤諭吉ではないでしょうか。『西洋衣食住』は、慶應三年のことですから。
幕末に、西洋の知識を論じるのは、とても危険だった。とにかく、「鎖国」の時代ですからね。明治のはじめでさえ、危なかった。たとえば。
「明治初年私の住居で、その普請をするとき、私は大工に命じて家の床を少し高くして、押入のところに揚げ板を造っておいた………………………」。
福澤諭吉著『福翁自伝』に、そのように書いています。これは、もし悪漢がやって来たなら、そこから逃げるつもり。この秘密の抜け穴は、家族にも内緒だったという。
葡萄酒が出てくる小説に、『オリバー・ツイスト』があります。1838年に、ディケンズが発表した物語。
「その小僧にも一ぱい」と云って、トビーは葡萄酒のコップに半分ついだ。」
余談ではありますが、当時の英國には、アルコール飲料の年齢制限がなかった。「小僧」でも少年でもアルコール飲料を飲むことはできたのですね。
『オリバー・ツイスト』には、こんな描写も。
「うすずみ色のコール天の上衣と、脂じみたファスチャン織のズボンを着け……………………。」
これは、「チトリング」という男の服装。
文中の「ファスチャン織」は、おそらくファスティアン f ust i an のことかと思われます。
ファスティアンは、ざっと1200年から使われている言葉で、毳のある綾織地。一説に、今のデニムのもとになった生地である、とも。「古代素材」と呼んでも間違いではないでしょう。
どなたかファスティアンを復活させて下さいませませんか。そうすると、ファスティアンのトラウザーズで、葡萄酒を飲みに行くこともできるでしょうから。