ゴンクールとコムプレ

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ゴンクールは、フランスの文人ですよね。
ことに、『ゴンクール日記』は有名でしょう。
『ゴンクール日記』は、1851年12月2日にはじまり、1896年7月3日に終っています。なぜなら、エドモンド・ド・ゴンクールは、1896年7月16日に世を去っているのですから。七十四歳でありました。
エドモンド・ド・ゴンクールは、ジュール・ド・ゴンクールのお兄さん。1870年6月20日。弟のジュールのほうが先に亡くなっているのですが。
では、『ゴンクール日記』はどのようにして書かれたのか。二人は同じ家に住んでいたので。夜、一日の終りに、今日の出来事を語り合う。それを弟のジュールが書き留めたのが、
『ゴンクール日記』の大半なのです。ただし、ジュール没後は、エドモンドが書いたのではありますが。

「今日、稀に見る美しい日本帯に、それを台無しにするようなひどいしみがあるのを嘆くと……………………。」

1884年3月20日、木曜日の『ゴンクール日記』にそのように出ています。
ゴンクールが帯のしみを嘆くと、ある日本人がこう言ったそうです。

「でもね、先生。美しい日本の女の汗を所有すると考えればですよ……………………。」

そんなふうに慰めたらしい。で、ゴンクールはこの日の日記に、このように書くのです。

「日本人は愛すべき機転、いささかフランス人流の機転を持っている。

1860年代、ゴンクール兄弟は、日本美のフランスでの発見者のひとりだと考えられています。
ある時、日本からの土産物が、紙に包まれていて。ゴンクールは中身より包装紙に目を奪われた。それは浮世絵の版画だったから。
「日本は品物を藝術作品で包装する國だ」。たぶん、そう思ったのでしょうね。
ゴンクールが出てくるフランスの小説に、『城から城へ』があります。1957年に、
セリーヌが発表した物語。

「やれやれ、ノーベル賞ども!、ゴンクール賞ども!うじゃうじゃども!……………………。」

セリーヌは1894年5月27日。巴里郊外に生まれています。1909年には、英國の
「ユニヴァーシティー・スクール」に入学もしています。セリーヌ、十五歳の時に。
1910年には巴里に戻って、「レエモン」という生地屋に勤めています。その後、
「ヴァグネル」宝石店でも働いています。
セリーヌの『城から城へ』の中に。

「三つ揃いつくってくれ! いいかい! 特別ちゃんとしたの! ポワンカレ!……………………。」

これは主人公が、巴里のオペラ通りにあった洋服屋でスーツを仕立てる場面。
ここでの「ポワンカレ」は、第一次大戦中、フランス大統領だった、レエモン・ポアンカレを指しています。おそらくとびきり古典的スーツなのでしょう。
三つ揃い背広は、「ヴェストン・コムプレ」。「コムプレ」 c ompl et dだけでも充分通じるそうですが。
やはりスーツは三つ揃いが「完璧」なのでしょう。もっともジレ とパンタロンの間からシャツがのぞくようでは「完璧」ではありませんが。
どなたか「完璧」なコムプレを仕立てて頂けませんでしょうか。

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