イーリアスは、ホメロスの長篇詩のことですよね。ギリシア神話に題材をとり、口伝の物語。
口伝とは、もちろん人の口から口へと、語りつがれてきた物語。この『イーリアス』に真実があると、空想したのが、シュリーマン。ドイツの考古学者、シュリーマン。
ハインリヒ・シュリーマンは、1822年1月6日。北ドイツの、ノイブコーに生まれています。
1869年9月24日。シュリーマンは、ギリシア人の、十七歳の、ソフィア・エンガストロメノスと、二度目の結婚をしています。
シュリーマンは『イーリアス』を学ぶ以上、妻もギリシア人でなくてはならない、と考えたのです。
では、シュリーマンはどうやって、ギリシア人の妻を得たのか。巴里からギリシアに手紙を書いて。当時、シュリーマンは巴里に住んでいたので。
シュリーマンは、巴里からギリシアの大司教に宛てて、「ぜひ私の妻を紹介して下さい」との手紙を。シュリーマンの手紙を受け取ったギリシアの大司教がいったいどんな顔をしたのか。さあ、それは知りません。
でも、大司教が、十七歳のソフィアに白羽の矢を立てたことは、間違いありません。1869年には、シュリーマンは四十七歳になっていました。つまり、三十歳年下の新妻だったのです。
シュリーマンは毎晩、ソフィアに『イーリアス』を読んで聞かせた。ざっと二百八十行分。夜、若いソフィアは朗読の途中で、眠くなる。ソフィアが眠ると、シュリーマンは朗読をやめる。そんな毎日だったという。
シュリーマンが偉大な考古学者であるのを疑う人は誰もいないでしょう。が、シュリーマンは最初から考古学者であったわけではありません。
貿易商だったのです。1844年にドイツの貿易商、「シュレイダー商会」に入っています。
そのシュリーマンが考古学に興味を持ちはじめるのは、1866年頃のこと。
では、「シュレイダー商会」は主に何を扱っていたのか。インディゴ。もちろん、藍染めの染料であります。
インディゴは、ごく簡単に言いますと、植物。草。この特別の草が、藍染めの原料となるのです。もちろん、インディゴ・ブルウ。
糸を藍の染料に漬けると、泥色に。この泥色が空気に触れることで、鮮やかなブルウが生まれるのです。魔法そのものであります。
シュリーマンもまた、『イーリアス』によって、魔法を起こした人物だったのですね。