イリュストラシオンとインヴァネス

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イリュストラシオンは、イラストレイションのことですよね。挿絵。
『イリュストラシオン』はまた、むかしフランクで出ていた、絵入り新聞のことでもあります。絵入り新聞ではありますが、週刊紙。
1843年3月4日に、『イリュストラシオン』の創刊号が出ています。その後、約百年にわたって発行されて。写真が一般的でない時代なので、イリュストラシオン入りの新聞が貴重だったのでしょう。
これは同じ時代のロンドンでも、似たような事情であったらしい。
1842年に、『ロンドン・イラストレイテッド・ニューズ』がはじまっています。もちろん、絵入り新聞。もう少し具体的に申しますと、銅版画。エッチングによる挿絵が添えられていたのです。
ほぼ同じ時代に、倫敦には『ロンドン・イラストレイテッド・ニューズ』があり、巴里には『イリュストラシオン』があった、ということなのですね。
1868年に、巴里で、『イリュストラシオン』に目を通した人物に、栗本鋤雲がいます。

「予が客たるの冬は四十年来の寒威なりと云ふ。セーヌ凍合し腹堅く、人馬履み渉るべし。」

栗本鋤雲著『暁窓追録』には、そのように出ています。栗本鋤雲は、おそらく『イリュストラシオン』を眺めたに違いありません。
それというのも、1868年『イリュストラシオン』1月11日号に、セエヌ川凍結の絵が出ているので。そこには人も馬も歩いてセエヌを渡っている様子が描かれています。
栗本鋤雲著『暁窓追録』は、1868年頃の巴里の様子を知る上で、貴重な資料といえるでしょう。たとえば。

「遠山形の帽子、蝉翼様の外套にして、腰間に鉄鞘刀を佩べり。」

これはその時代の警官の姿。「遠山形の帽子」は、ビコルヌ。つまりナポレオン帽のこと。「蝉翼様の外套」は、ケエプ付きのコオト。あるいは、インヴァネスに似た制服だったのではないでしょうか。
『イリュストラシオン』の古い号を繰ると、「蝉翼様の外套」の絵も出ていると思うのですが。

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