トゥタンカーメンは、ツタンカーメンのことでよね。
もう少し正確には、「トゥトアンクアメン」T ut ankh am en でしょうか。
古代エジプトの王であった人物。紀元前1361年に、若くして王様になった。ちょっと気が遠くなるほど昔のことであります。
このトゥタンカーメンの遺跡を発掘したのが、カーター。イギリスの考古学者、ハワード・カーター。ハワード・カーターは、1873年、イングランドの、ノーフォークに生まれています。
そのハワード・カーターが、トゥタンカーメンの墓を発見したのが、1922年11月22日のことです。
トゥタンカーメンの遺品の中には、香料箱もあって。蓋を開けると、馥郁と香りが立ったと、伝えられています。
ハワード・カーターが生まれた1873年、トロヤの遺跡を発掘したのが、シュリーマン。ハインリッヒ・シュリーマンは、ドイツの考古学者。
1822年1月6日に、生まれています。シュリーマンは少年の頃、ホメロスの長篇詩『イリアス』を読んで、感動。古代ギリシャの都市、「トロヤ」はほんとうにあったのだと、信じるのです。
ホメロスの『イリアス』は、創作であり、伝説であるのかも知れないのに。
青年時代のシュリーマンは、様ざまな苦労を経て、貿易商人に。この貿易で得た収益を、すべて古代遺跡の発掘に賭けるのです。1863年のことであります。
それからはまず、発掘に必要な多くの言語を学んでもいます。その結果、1873年に、トロヤ遺跡を発見。ホメロスの『イリアス』は、単なる物語ではなかったのです。
「数ポンドの重さの黄金の杯、大きな銀製のかめ、黄金の王冠、腕輪、数千の金の小板を苦心して連ねた首輪、それらは真にこの地方の強力な一支配者の豪華な所有物であったのである。」
シュリーマン著『シュリーマン自伝』には、そのように書いています。
晩年の、シュリーマンの写真を見ると、黒の、ラウンジ・スーツを着ています。1880年頃、シュリーマン、六十歳くらい。
このシュリーマンのラウンジ・スーツには、すべて、トゥリミングが施されています。
さて、六ミリほどの幅でしょうか。絹サテンで、縁取りがなされています。
では、この時代の縁取りとは、何であったでしょうか。礼儀であり、エティケットだったのです。
上着の前身頃をむき出しにするのは、相手に対して失礼だ、と。で、相手の視線に入る部分には、トゥリミングを。これはなにもシュリーマンだけのことではなく、十九世紀の常識でもあったのです。
これだけを考えてみても、服は自分だけのものではなく、相手への気配りでもあったのでしょう。