阿川とアロハ

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阿川は、日本人の姓にありますよね。
たとえば、阿川弘之だとか。阿川弘之が師事した作家が、志賀直哉であります。師弟愛といえば良いのでしょうか。志賀直哉と阿川弘之との交際の美しさには、頭の下がるものがあります。
阿川弘之は志賀直哉を熟読して作家となったお方。そうも言えるでしょう。
でも、作家は一般に作家の小説は読まないものなんだそうですね。

「私ども文士は、同業の文士の書く新聞小説ろいふものをあまり読まない。」

阿川弘之は、『獅子文六』と題する随筆に、そのように書いています。

「獅子文六さんのものだけが、私にとつての例外であつた。」

そのようにも書いています。ことに『自由学校』は、毎朝の新聞が開くのが楽しみで楽しみで。
ところが、その話を先輩編集者に訊いても、同じようだった、とも。池島信平も。

「文六さんの新聞小説だけは、必ず全部読み通すね」

で、あったという。
うーん。獅子文六の『自由学校』を読んでいると。

「アロハのようなものを着て、白いショーツを穿き、まるで、アメリカ人のような勇ましさで、駒子に右手を差し出した。」

これは「茂木夫人」の自宅での装い。

阿川弘之は、鉄道愛好家でもあって。というよりも乗り物全般に、異常なほどの情熱を燃やすお方。とにかくハワイに行くのに、船で行くというのですからね。

「………花のレイを首にかけた大柄なハワイ人の女が立つて、「アロハ・オエ」を歌ひ出すところであつた。」

阿川弘之著『ホノルルまで』の終章。最後の一行。船が港に着いたところ。
もちろん横浜を発って、ホノルルに。
ホノルルに着く前の前の晩に、「アロハ・ディナー」が。
阿川弘之は、「アロハ・ディナー」だというので、軽装で食堂に。と、ボーイがやって来て、耳元で。「どうかお上着を………」。
この場合の「アロハ」は、さよならディナーの意味だったんだそうですが。
まあ、「アロハ」にはたくさんの意味がありますからね。
これとは別に、ほんとうの、もうひとつの「アロハ・ディナー」の話もあります。

「………ついては男性はアロハ・シャツ、女性はムームーで食事にいらつしゃやいと、関係者一同にお召しがあつたのである。」

同じく阿川弘之の随筆『妃殿下、ハワイの休日』に出てくる一節であります。
これは、高松宮殿下のお招きでの話。時は平成八年のこと。
その頃、高松宮妃殿下は、ハワイで愉しくお過ごしになったことがあって。その時の写真などを見ながら歓談しましょう、という夕食会であったらしい。
ハワイでの想い出を、アロハ・シャツで語り合う。よろしいじゃないでしょうか。

よく知られた話ではありますが。アロハ・シャツ、そもそもの発明は、日本人。和服地で仕立てた洋式のシャツがはじまりなのです。
ということは世界最初のアロハ・シャツは、絹だったのであります。
どなたかシルクのアロハ・シャツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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