レモンは、果物のひとつですよね。ライムともちょっと似ています。
でもライムはライム、レモンはレモン。こんなのを、「似て非なる」なんていうでしょうか。
それをいうなら、「レモン」と「檸檬」。「レモン」なら紅茶に浮かべたくなってきますし、「檸檬」なら本を読みたくなってきます。文字とは不思議なものですね。
「一體私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの繪具をチューブから搾り出して固めたやうなあの單純な色も、それからあの丈の詰つた紡錘形の恰好も。」
あまりにも有名な、梶井基次郎の短篇。梶井基次郎の代表作と言って良いでしょう。
大正十四年、『青空』に発表。『青空』は、同人誌。梶井基次郎はこの時、二十四歳だってのですが。
若き日の梶井基次郎と親し買った文士に、川端康成がいます。
もっとも梶井基次郎は、昭和七年、三十一歳で世を去っているのですが。
昭和二年の元旦には、伊豆の「湯本館」に、川端康成を訪ねてもいます。
「梶井君も私もが伊豆にゐた頃、梶井君は私の作品集「伊豆の踊子」の校正をすつかり見てくれた。
川端康成が、昭和九年に書いた随筆『梶井基次郎』には、そのように出ています。
梶井基次郎は、川端康成の紹介で、同じ伊豆の「湯川屋」に移ったとのことです。
ある時、川端康成は、青森のりんごをもらって。それを梶井基次郎に少し分けたことがあって。
梶井基次郎はその青森りんごを大事にして、ぴかぴかに磨いた。磨いたりんごを宿の棚に飾って。
次の日、詩人の三好達治が梶井基次郎の部屋にやって来て。三好達治はりんごを見るなり、手に持って齧った。
梶井基次郎は三好達治の頭をぽかりと殴ったという。
これも、川端康成著『梶井基次郎』に出ている話なのですが。
梶井基次郎がもう少し長生きしていたら、『林檎』の短篇を書いたのでしょうか。
「梶井君は菓子も茶も好きであつた。物惜みなく、高い玉露をどつさり摘んで、入れかへ入れかへするといふ風であつたが、味ふともなく味ふ贅澤さに、彼の高貴な深さがあつた。」
川端康成は、梶井基次郎について、そのようにも書いています。
友だちは、梶井基次郎の茶好き、菓子好きを知っているので、それらをよく送っても来て。
すると梶井基次郎は、その半分を、川端康成のところに運んだという。
「後にも先にも、私はそのやうにいい茶を飲んだためしはない。」
これは、淀野隆三が、川端康成に送った宇治の「千早振」という銘柄についての話なんですが。
レモンが出てくる小説に、『青春』があります。明治三十九年に、小栗風葉が発表した長篇。
「天もレモン色に黄ろく、入日は最う二分ばかりに沈んで、丁度朱塗の杯が伏さったよう。」
また、『青春』には、こんな描写も出てきます。
「………金茶の横縞へ花鳥の飛模様の入った藤鼠の博多の帯。」
「横縞」はもちろん、「よこじま」と訓みます。「よこしま」なら別の意味に。「邪」だとか。これも似て非なる例ですが。
「よこ縞もめん蒲団にせんだんの丸木引切枕……………………。」
井原西鶴の『好色一代男』の一節です。少なくとも江戸期に「よこ縞」があったのは、間違いないでしょう。
幼い頃の世之介は、横縞の蒲団を使ったようですね。
ホリゾンタル・ストライプ。フランスなら、「レエ」r a i es でしょうか。
レエはどこの国、いつの時代にもある柄ですが。おそらく「波」もしくは「海」の印象を描いたものでしょうね。
いわゆるバスク・シャツにも、多く「レエ」が描かれます。海に近い場所でもありますからね。
どなたか「レエ」のシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。