令嬢とレイン・シューズ

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令嬢は、姫君のことですよね。令男とは申しませんから、やはりをみなだけなのでしょうね。
令嬢の枕詞は、「深窓」でしょう。つまり令嬢はお住まいからして、違う。「チワー」なんてご用聞きが来て、「はい、何でしょう?」なんてのは、「令嬢」のうちには入らないのでしょう。
深い深い窓の奥で、愁いを含んで、ひっそりとお暮らしになっていらっしゃる。それが本来の「令嬢」なのだと思います。
私の知る限りにおいての、「令嬢」と呼ぶにふさわしいお方は、「犬養道子」です。
犬養 健のご長女。犬養 毅のお孫さん。
犬養道子は、誰がどこから見ても「令嬢」以外の何者でもないのですが。常に理想と正論とで行動なさってお方でもあるのです。とても「深窓」には落ち着いていられななかった正義漢でもありました。
そんなふうに自由闊達に振舞ってなお、いつも「令嬢」然としていたわけですから、本物の)令嬢」だったのでしょう。

「まあ、持てあましてゐた時間をお店で愉快につぶさせて貰ふ上にお金をいただくなんて、思ひがけないことですわ。このお金は貧民救済事業にでも寄附して下さい。」

昭和九年に、川端康成が発表した『令嬢日記』の一節です。
さる令嬢が、百貨店の売場に立つことになって。最初の月給日。給料が出ると知った時、
「令嬢」はそんなふうにおっしゃったという。なるほど、これが言えてこそ、「令嬢」なんですね。

「此の縞は即ち令嬢に適すべきなり。」

明治九年に、服部撫松が書いた『東京新繁盛記』にも、そのように出ています。これは現在の銀座での会話。
いろんな縞のあることを紹介して。どの縞がどんな人に向くのか、詳しく述べられています。
明治九年に、「令嬢」がいたのは、間違いないでしょう。
川端康成が、昭和三十一年に発表した小説に、『女であること』があります。この中に。

「………千代子は今日も雨なのだと、スナップの一つ抜け落ちた、自分のレイン・シユウズを思ひ出した。」

雨の日に、レイン・シューズはつきものです。でも、ラウンジ・スーツにうまく合ってくれるレイン・シューズもなかなか難しいものであります。
1960年代。まだ若者だった私は、マナスルシューズをレイン・シューズ代りにに履いたものです。
当時、「マナスルシューズ」は、日本橋の「丸善」で売っていました。まあ、言ってみれば、軽登山靴なのですが。念入りな、二重の、手縫い靴で、雨の入ってこない靴で、重宝して記憶があります。
たしかプレイン甲と、モカシン甲とがあって、私の好みは後者でしたが。もし壊れた場合にも、修理してくれたものです。
今、マナスルシューズは見かけません。
どなたかマナスルシューズを再現して頂けませんでしょうか。

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