スコットランドとスリー・ボタン

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

スコットランドは、国の名前ですよね。イングランドの北隣が、スコットランドであります。
スコットランド人には節約家が多いという話があります。スコットランド人自身も、これを冗談のネタに使うことがあるほどに。
そのスコットランドの中でもことに節約に長けているのが、アバディーンなんだとか。もちろん冗句のひとつではありますが。
「世界でもっとも薄い歯磨きチューブは、アバディーンにある。」
なんていうのも、そのひとつでありましょう。
スコットランドのアバディーンで生まれて、後に日本と深くつながりを持つことになった人物に、グラバーがいます。
トオマス・ブレイク・グラバー。あのグラバーは、1838年6月6日に、アバディーンに生まれています。
今も長崎の名所のひとつに、「グラバー邸」があります。一時期、トオマス・グラバーが住んだので、その名前があるのですね。
ここで話は飛ぶのですが。「キリンビール」の商標登録の絵の麒麟と、グラバーとが関係しているとの説があります。
明治のはじめ、グラバーはビール業にも手を伸ばしているのです。「ジャパン・ブリュワリー」がそれであります。新しいビールの商標には、不思議な動物がよい、と言ったのは、
「ハナ」。グラバーのお嬢さん。
ハナは不思議な動物の絵さえ描いて。それも麒麟の髭はお父さん、つまりグラバーの髭を参考にしたという。
この時、グラバーが立派だったのは、日本国への税金を払ったこと。当時の習慣として、
西洋人は治外法権を主張して税金を払うことはありませんでした。でも、グラバーの、
「ジャパン・ブリュワリー」は日本への税金を払うことにしたんだそうです。
トオマス・ブレイク・グラバーはけっして吝嗇家でなかったのでしょう。
それはともかく、今度キリンビールを飲むときには、ちょっとグラバーのことに想いを馳せてみましょう。
さて、幕末から明治にかけてのグラバーは、なにを着ていたのか。黒の、モーニング・コート。当時はモーニング・コートが昼間の通常服だったのですから、当時のことでもありましょう。
今に遺されたグラバーの写真を見ると、三つボタン型のモーニング・コートになっています。片前のモーニング・コートで、上二つのボタンを留めて着ているのです。
これはなにもグラバーが特別であったのではなくて。少なくとも1890年代のモーニング・コートは、スリー・ボタン型が主流だったのです。
クラッシックなモーニングはスリー・ボタン。こう言っても大きな間違いではないでしょう。
今のラウンジ・スーツはモーニングの後身ですから、上着もまた三つボタン型が古典なのです。
どなたかクラッシックなスリー・ボタンの上着を仕立てて頂けませんでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone