ピープスは、姓名のひとつですよね。
たとえば、サミュエル・ピープスだとか。サミュエル・ピープスは、十七世紀、英國の
日記作家であります。
P epys と書いて、「ピープス」と訓むんだそうですね。
二十一世紀の今でこそ「日記作家」ですが。十七世紀当時は、英國海軍の事務方でありました。日本なら防衛省のお偉いさんというのに近いでしょうか。
サミュエル・ピープスは今日のハワイとも関係なくもありません。ハワイの古名は、
サンウイッチ諸島で。この「サンドウイッチ諸島」の名前を選んだのが、ピープスだったのですね。
その時代、ピープスの上司だった「サンウイッチ伯爵」に因んでのこと。
また、ピープスはファッションとも無関係ではありません。ピープスのお父さんは、倫敦で洋服店を開いていましたので。
『日記』を読むと、ピープスもまたお父さんに服を仕立ててもらっています。
サミュエル・ピープスの『日記』は、十七世紀、英國の官僚の実態を知る上で貴重な資料となっています。なぜなら、ほんとうのことを赤裸々に書いているので。
どうして「ほんとうのこと」といえるのか。ほとんどピープス独自の「暗号」で書いてあるので。「人に読まれては具合の悪い」、つまりはほんとうのことであったからでしょう。
ピープスの『日記』がすべて解読されたのは、比較的最近のことなのです。
「………そこでわたしのコート用にビロードと、マント用にらくだ織りを買った。」
ピープスは、1666年1月8日の『日記』に、そのように書いています。倫敦の、
パタノスター・ロウの「ベネット」という店で。「ベネット」はおそらく生地屋だったものと思われます。
同じ『日記』のもう少し先を読んでいきますと。
「新調の黒マントを着る。長くって、膝まで届くやつだ ー そしてサー・W・バッテンといっしょにホワイト・ホール宮へ。」
と、出てきます。
ここからは私の勝手な想像ですが。おそらく一月に買って、黒いキャメル地のマントだったのではないでしょうか。
いわゆる「先地」だったものと思われるのですが。その時代には高級官僚が、黒のキャメルでマントを仕立てることもあったのでしょう。
では、一月に買ったビロード地はどうなったのか。何に仕立てられたのか。これまた、想像ではありますが、たぶんフロックに変身していたのではないでしょうか。
どなたか、本絹のビロードで、上着を仕立てて頂けませんでしょうか。