巴里はフランスの都ですよね。巴里は、昔の巴里。今のパリは、パリ。
パリと巴里の境はどこにあるのか。1945年。戦前の巴里は、巴里で。戦後のパリは、パリ。なんかそんな感じがあります。
明治期に巴里を旅した文人に、夏目漱石が。夏目漱石といえば倫敦留学が有名でしょう。
夏目漱石は明治三十三年に、倫敦に。でも、その前に、巴里へ。つまり巴里を経由して倫敦に渡っているのですね。
「巴理ヲ發シ倫敦に至ル……………。l
明治三十三年十月二十八日 日曜日の『日記』に、漱石はそのように書いています。漱石の文字遣いは、「巴理」になっているのですが。
では、漱石の巴里での想いはどんなふうだったのか。
「………繁華ノ様ヲ目撃ス其状態ハ夏夜ノ銀座ノ景色ヲ五十倍位立派ニシタル者ナリ」
十月二十二日 月曜日の『日記』に、漱石はこう書いています。
明治三十三年は、西暦の1900年で、折から「巴里万博」が開かれていて。漱石も「巴里万博」に足を運んでいます。
「二三日ではとても観ることはできない」。
そんな意味のことを『日記』に書いているのですが。
夏目漱石が倫敦から帰って、はじめて書いた小説が、『吾輩は猫である』。この一作が、その後の漱石に大きな影響を及ぼすのは、ご存じの通りでしょう。この中に。
「………上部を赤、下部を深緑りで塗つて、其の眞中に一の動物が蹲踞つて居る所をパステルで書いてある。」
これは年賀状の図柄について。漱石は、「書いて」と記しているのですが。
「パステル」p ast el が小説に描かれた例としては、比較的早いものかと思われます。
パステルで描いたような淡い色調なので、「パステル」なのでしょう。
昭和四十五年に、吉行淳之介が発表した小説に、『暗室』があります。『暗室』はその年の「谷崎潤一郎賞」をも受けている作品。吉行淳之介の代表作とも言えるものです。
この『暗室』と関連して『「暗室」のなかで』があります。大塚英子の著書。大塚英子は、
『暗室』のモデルのひとりと考えられている人物。この中に。
「夏枝がみつけたダンヒルのピンドットのネクタイは、吉行のスーツ姿によく似合った。」
そんなふうに書いています。
ここでの「夏枝」は、結局のところ大塚英子なのですが。つまり大塚英子は、吉行淳之介のネクタイを選びこともあったのでしょう。
巴里から想い浮かべる文士に、獅子文六がいます。獅子文六は戦前の巴里に長く住んだお方でも。その獅子文六が、昭和二十五年に書いた小説に、『自由学校』があるのです。
「そういう戦後紳士の服装にふさわしく、彼もまた、パステル・カラーの新調服を着て、新しい赤靴を穿いている。」
これは、「五百助」という男の着こなし。「新調服」は、どのように理解すれば良いのでしょうか。淡い色調のスーツなのでしょうか。
どなたかパステル・カラーのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。