モンゴメリーは、人の姓ですよね。
M ontg om ery と書いて、「モンゴメリー」。間の「g」はサイレントになることが多いようですが。
モンゴメリーで英國人ということでしたなら、バーナード・ロウ・モンゴメリーでしょうか。イギリスの軍人。最後は陸軍元帥まで勤めた人物であります。
おしゃれのほうでも1940年代のベレエやダッフル・コオトを語る時には忘れてはならないお方でしょうね。
一方、カナダに参りますと、ルーシー・モード・モンゴメリーがいます。ルーシー・モード・モンゴメリーは、『赤毛のアン』の作者であります。
ルーシー・モード・モンゴメリーは、1874年11月30日。カナダの、プリンスエドワード島に生まれているのですが。
1874年11月30日は、ウインストン・チャーチルの誕生日でもあります。
『赤毛のアン』といえば、「グリーン・ゲイブルズ」でしょうね。ゲイブル g abl e は、
「破風」のこと。「切妻」のこと。昔風の風抜きです。板を斜めに重ねて、雨は入り込まないけれど、風は出てゆく仕掛けのこと。板は何枚かで連なっていますから、「ゲイブルズ」。ひとつの例として、「スリー・ゲイブルズ」だとか。なんか、もうそれだけで牧歌的な光景を想ってしまうほどです。
『赤毛のアン』が出版されたのは、1907年のこと。ただし、モンゴメリーが『赤毛のアン』の下敷きになる創作をはじめたのは、1900年頃のことです。つまり、『赤毛のアン』の時代背景は1900年代である、そう考えても間違いではないでしょう。
1880年代には。プリンスエドワード島には、千人を超えるテイラーとドレス・メイカーがあったと伝えられています。いわゆる「街の洋裁店」です。
当時の習慣として、「他所行き」の服は、これらの「街の洋裁店」に頼み、普段着は家庭で縫うことが多かったようですね。
そのために、型紙付きの洋装雑誌が出ていたわけです。ミシンやアイロンのある家も少なくありませんでした。また、街の「雑貨屋」では、生地の切売りもしてくれたのですから。
「アン」も、ということは作者のルーシー・モード・モンゴメリーもまた、そのようにして、身なりを整えていたのでしょう。
モンゴメリーが出てくる小説に、『アーロン・バアの英雄的生涯』があります。1973年に、ゴア・ヴィダールが発表した歴史小説。アメリカの1833年かr、1840年までが描かれています。
「十一月三十日の朝、モントリオールから何の連絡もないので、アーノルドはモンゴメリイ将軍宛の一通の書簡を余に示し、河を降って行くように命令した。」
もちろんこれは1833年の「11月30日」のことなのですが。
また、『アーロン・バアの英雄的生涯』には、こんな描写も出てきます。
彼はモカシンの一足を取りあげて、「ここにいくらか剛い毛が残してある。なかなか気のきいた記念として扱ってもよかろう。どうだ、おいら保証するぜ、これこそ本物のインディアン革靴だよ」。
これはその時代の、ワシントンの路上で、男たちが手づくりのモカシンを売っている場面。
当時から、モカシンを、「インディアン・シューズ」と呼ぶ習慣はあったようですね。
本物のモカシンは、鹿皮。
どなたか鹿皮のモカシンを作って頂けませんでしょうか。