S ex と仙台平

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S ex は、性のことですよね。「性」にもいろんな意味があるから、ややこしい。
むかし、飛行機に乗る時、書類に記入する必要があって。生年月日だとか、住所だとか。その項目のひとつに、s ex の欄が。もちろん性別を問うものです。男なら男、女なら、女。
さる農協の団体旅行ではじめての海外へ行くおじ様が、この書類をまえに、沈思黙考。このs ex のところにしばし考えたあげく。「週に三回」と記入した話があります。

「父が私を膝に乗せている時、私は父からS ex の教育はうけなかったが、情緒教育はうけていたのである。」

森 茉莉は、『素敵な少年たち』という随筆のなかに、そのように書いています。「S ex 」は、森 茉莉好みの表記でもあったのでしょう。
森 茉莉は、明治三十六年一月七日の生まれですから。時代背景は、明治末期のことでもありましょうか。
森 茉莉はいつも鷗外のことを、「パッパ」と呼んだらしい。そのパッパのほうは、「お茉莉」と。つまり、鷗外は茉莉を溺愛したものと思われます。
森 茉莉は、『素敵な少年たち』を、この一行から、書きはじめています。

「私は少女の頃から少年に憧れたことがなく、私の好きな対照はいつも自分の父親だった。それは好きを通り越して殆ど、恋人であった。」

茉莉によると、鷗外は変った食べものがお好きだった。たとえば。「餅茶漬け」。餅を小さく切って、焼く。焼いた餅に醤油をまぶし、飯の上に。それに熱い番茶を注いで、「餅茶漬け」。
森 茉莉は、『 「パッパ」と』と題する随筆も書いています。

「長い外套の下から供へつけの麻裏草履を履いた黒い足袋の足と、裾長の仙台平の袴が見え、袴が微かに鳴る。私は「パッパ」の袴の微かな音を耳に入れ、うれしさと懐かしさとで小さい、狭い胸を一杯にして、廊下を歩く。」

これは十二月のある日、パッパとお茉莉の二人が、「神田川」に上がる場面。
仙台平は、関ヶ原の合戦の後、仙台ではじまった絹地。京都の名工、小松弥右衛門を、仙台に招いて、織らせたという。
仙台平は、もともと無捻り絹で、織る。糸に捻りがなくては難しいので、常に水を打ちながら、織る。
多く、袴地とされるのは、皺にならないから。正座から立姿に移った時、袴が美しい線となる。また、森 茉莉がすでに耳にしているように、歩くと、絹鳴りが。
時には仙台平で。森 茉莉の初版本を、探しに行くとしましょうか。

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