ボウラーは、山高帽のことですよね。ボウラー・ハットとも言い、また「山高帽子」とも言います。
さらには山高帽子を省略して、「山高」とも。もちろん、「やまたか」と訓みます。山高と書いて、「やまだか」と訓むと、別の意味になるんだそうです。
「やまたか」は、明治以降の言葉。「やまだか」は江戸末期からの言葉。真ん中が高くふくらんでいる様子を、「やまだか」と称してんだそうですね。
ボウラーを脱いだ時、どうするのか。紳士は、ボウラーを逆さまにして、置く。紳士でない人は伏せて、置く。脱いだボウラーの扱い方でも、紳士か否かが分かるのでしょう。
ボウラーを逆さまに置く理由はいくつかありますが。そのひとつに、手袋の収納場所として。紳士は季節に関係なく手袋を嵌めたもので。ボウラーを脱ぐ場面では、手袋をも外した。外した手袋を入れて置くための恰好の場所が、ボウラーの内側だったのであります。
二十世紀に入ってからは紳士もだんだん手袋を省略するようになって。でも、以前からの習慣で、ボウラーは逆さまに置いたものなのですね。
ボウラーが出てくる小説に、『情事の終り』があります。1951年に、グレアム・グリーンが発表した物語。
「雨は、彼の硬い暗色の帽子の上に降りそそぎ、官吏らしい黒い外套を滝のように流れていた。」
これは、ヘンリーという男の様子。物語の背景は、1940年代の、倫敦のとある公園。
勝手な想像ですが、「硬い暗色の帽子」は、ボウラーだろうと思われます。その理由は、「官吏らしい」にあるのです。
1940年代の英國でのボウラーは、身分が高くもなく、低くもない人物にふさわしい帽子であったからです。
それに、「硬くて」、雨に強い帽子は、ボウラー以外には考えられませんから。
『情事の終り』には、また、こんな描写も出てきます。
「やがてわたしたちはコーヒーをのみにラウンジへゆき、黒の馬毛布のソファが無駄に置いてある荒涼とした炉辺に完全に二人きりになった。」
「馬毛布」。たぶん、ホース・ブランケットのことでしょう。ふつう、馬の背にかけて置くための毛布。
古典柄の、タタサルズ・チェックが、ホース・ブランケットの柄から生まれているのは、ご存じの通り。
一度はボウラーをかぶって、英国の競馬を観に行きたいものですね。