スパムは、缶詰ですよね。もちろん、ポークの缶詰。SPAM と書いて、「スパム」と訓むわけです。
スパムがひとつあると、たちどころにひと皿の料理が生まれます。まこと、重宝なものであります。なんとなれば、パンに挟んで「スパム・サンドウイッチ」。十秒もかからないでしょう。
スパムは、もともとアメリカのレーションとして開発されたもの。1937年のことです。兵士の軍用食として
スパムを作ったのは、ミネソタ州の、「ジョージ・A・ホーメル」という食品会社。最初の名前は、「スパイスド・ハム」。このスパイスド・ハムを短くして、「APAM」を登録商標としたのであります。社内でこの商標を考えた人には、賞金100ドルが与えられたという。
スパムが出てくる読物に、『或る戦後』があります。1963年に、
シモオヌ・ド・ボーヴォワールが発表した随筆。
「それと引換えに紅茶やキャメルや粉末コーヒーやスパムの罐詰をホテルに持ち帰った。」
これは1944年頃の巴里での様子。シモオヌの友人でもあり、作家でもあった、リーズ・ドアルムが実際にやったこと。
文中の「キャメル」は、アメリカ煙草。その時代の貴重品ばかりです。フランスもまた、物資欠乏だったので。
リーズ・ドアルムは巴里のカフェに座って、アメリカ兵が声をかけてくるのを、待つ。アメリカ兵が声かけてきたなら、次に逢う約束を。と、アメリカ兵は喜んで、物資をたくさん持ってくる。で、リーズは「メルシー!」と言って。約束の場所に行ったり、行かなかったり。
ということは、1944年頃。ボーヴォワールはもちろん、サルトルも、スパムを召し上がってものと思われるのですが。
『或る戦後』には、こんな描写も出てきます。
「ブラジルへ派遣されることになったので、嬉々として白いタキシードを買いこんだ。」
これは1952年頃の話。
シモオヌの友人で、作家の、ボストの話として。「ナジェル書店」から、旅行案内書を出すことになって、その取材にブラジルへ。
ジャック=ロオラン・ボストと、ボーヴォワールは一時期、仲良しだったと伝えられています。
それはともかく。ブラジルで取材となった時、すぐに白のスモオキングを用意するところなど、やはりフランス人なんですねえ。
白のスモオキングに似合いそうな、スパム料理を考えてみましょうか。